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連載・特集

緑地帯 若狭邦男 私と大江コレクション⑧

 大学院進学で上京した私は1973年5月、大江健三郎氏の自宅を訪ねた。アポイントを取らないまま、今思うとむちゃな訪問だった。玄関先まで来た時、ちょうど帰宅した大江氏がタクシーから降り立った。

 幸い、大江氏は私にすぐに思い当たったようだった。「あっ、待っていて」と家の中に入り、息子で当時9歳の光さんを連れて出てきた。「テールスープを作るのでスーパーに行く。そこまで歩きながら話しましょう」。光さんを挟んで歩いた。

 「僕の小説で好きなのは?」と尋ねられ、「短編『空の怪物アグイー』です」と答えた。大江氏が光さんに触発されて書いた小説の一つで、思い入れの深い作品だったのだろう。とても喜ばれ、話が弾んだ。

 話題は、大江氏が高校生の時に書いたと思われる詩のことに及んだ。私はかつて、友人との自動車旅行で彼の母校である松山東高(松山市)を訪ねようとして果たせなかったが、その後に訪問。文芸部の部室に寄り、古い部誌「掌上(しょうじょう)」(52年2月)のコピーを入手していた。

 そこには「おおえ・けん」の作者名で詩「別れ」が収録されている。大江氏は「卒業に合わせて僕が書いたものです」と、うなずいた。

 「僕は 人々の 善意にあきた。」で始まる詩は、「ぼくは あこがれにみちて たびにでる。/巨きい船のように 春の水のように。」と結ぶ。大江氏の出発点だと、再読してしみじみ思う。(古書コレクター=広島市)=おわり

(2024年4月5日朝刊掲載)

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