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回天の仲間へ 慰霊続ける95歳 周南の大津島で愛媛の清積さん

4年前に戦友他界 1人参列

 特攻兵器「回天」の訓練基地があった周南市の大津島を桜が咲く時季に訪れ、慰霊を続ける95歳の男性がいる。戦争末期に回天を載せた潜水艦「伊58」の乗組員だった清積勲四郎さん=愛媛県松前町。ともに戦って帰還し、2002年から「春の慰霊祭」を一緒に営んできた無二の友は4年前に亡くなり、参列する元乗組員は1人になった。気力を絞り、今年も海を渡った。(井上龍太郎)

 3月末、清積さんは徳山港(周南市)から旅客船に乗って桜咲く大津島を訪ねた。島の港から高台にある回天記念館までの約700メートルを力強く歩き、遺影や遺品、石碑と向き合った。その後、港近くの神社へ。回天で命を落とした搭乗員たちに思いをはせた。

 伊58は呉市を拠点に回天を搭載した。一番若い乗組員だったという清積さんは、士官室の雑務係だった。回天の搭乗員との別れの杯の用意などを担ったという。

 1945年7月、伊58はフィリピン海で米重巡洋艦インディアナポリスを魚雷で沈めた。インディアナポリスは、広島に投下される原爆の部品をテニアン島に運んだ後だった。

 清積さんによると、前日に回天2基が発射されていた。「私たちのために頑張ってくれた」と搭乗員を悼む。ただ、戦線では自艦も敵にぎりぎりまで近づく。「潜水艦にいる僕たち全員いつ死んでもおかしくなかった。回天だからと特別な気持ちはなく、命日は同じになると思っていた」

 慰霊祭は3歳上の元乗組員中村松弥さんとともに、艦長の遺族や、中村さんの地元である京都の神社の協力を得て続けてきた。中村さんは20年に死去し、「きょうだいが死んだ時より悲しかった」と清積さんは振り返る。どちらかが亡くなれば慰霊祭はやめようという話もしていたという。しかし、中村さんの身内や協力者の支えもあり、続ける決心をした。

 1人乗りの操縦室に20歳前後の若者が搭乗し、多量の爆薬を搭載して敵艦に体当たりする回天が初めて投入されて今年で80年。訓練を受けた搭乗員1375人のうち106人が戦死し、整備員も含めると死者は145人に上る。「今の時代では考えられない。回天を多くの人に知ってほしい」と清積さん。「戦争はとにかく悲惨。絶対に起こしちゃいけない」と言葉を絞り出す。来春も島に降り立つ覚悟だ。

(2024年4月9日朝刊掲載)

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