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連載・特集

在外被爆者 願いは海を超えて 第2部 米国編 <7> 渡日治療 長旅、不満と期待と

健診行きさえ困難に

 「すっかり良くなって帰って来るからね」

 五月末、サンフランシスコ空港の国際線出発ターミナル。郊外のダブリンに住む米中泰枝さん(60)は何度も何度も、見送りに来た二人の息子を抱きしめた。

腹痛など不調続き

 「悪いところは全部治し、この子たちにこれ以上、迷惑をかけないようにしたい」。広島県医師会などが隔年で実施している被爆者健康診断の結果、広島での里帰り治療に招かれた。

 南段原町(現広島市南区)の自宅で被爆した。三歳だったから、後で母に聞いたことしか分からない。けれど、不調続きの身体が、原爆の恐ろしさを教えてくれる。

 腹痛や割れるような頭痛に、しばしば悩まされるという。

 一九六八年、岩国で知り合った米国人と結婚し、渡米した。幸せな生活もつかの間、夫の酒癖に悩まされた。離婚したのは二十年近く前。

 もともと丈夫ではなかった。悲鳴を上げる身体をなだめながら、清掃作業員やベビーシッターなどで頑張ってきた。

4年前に心臓手術

 四年前、米国で心臓弁膜症の大手術をした。医学用語はさっぱり分からず、不安だった。日本に帰りたかったが、「準備に時間がかかる」と言われ、悪化するのは待てなかった。

 手術費は、離婚の慰謝料を充てた。家賃の安い公営住宅に引っ越して、不足分を補った。入居に必要な米国籍を取った。

 ジミーさん(32)とバービーさん(31)の二人の息子は、米中さんの宝物。それぞれ独立しているが「会社を休んでドクターに連れていってくれる。英語が不得意な私の通訳をしてくれるの」。顔がほころぶ。

 「絶対元気になります。時間はかかっても、もう一度、幸せな生活を送りたいんです。今まで心配かけた分、息子たちにも幸せになってほしい」

 二人を振り返り、手を振り、また振り返り、日本への旅路についた。

日本とのパイプ役

 在米の被爆者たちは、長旅を強いる渡日治療への不満もあるが、期待も大きい。長年、西海岸を訪れてくれる日本からの健診団は治療は伴わないものの、感謝の気持ちも強い。

 「体調が許せば、死ぬ前に一度でいい、日本のお医者さんに全身くまなく調べてもらいたい。それだけで安心できるはず」と話すのは、ロサンゼルス南百五十キロのサンディエゴに住む女性(83)。結婚した米兵に先立たれ、「生活に苦しむ姿を日本の親類に知られたくない」。名前は明かさない。

 関節症や肝機能障害があるが、通院をがまんしていると言うロス郊外のガーデナに暮らす女性(70)も「健診団が来ると『ああ、日本に見捨てられてないんだ』と思える。日本とのパイプのようでありがたい」。

 ただ、被爆者たちはよわいを重ねた。二年に一度、サンフランシスコやロス市内である健診会場に行くのも困難になりつつある。そして古里日本は、さらに遠い。

(2002年7月20日朝刊掲載)

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