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社説・コラム

『今を読む』 神戸市外国語大准教授 山本昭宏(やまもとあきひろ) 映画「オッペンハイマー」

原爆の神話 普遍化する回路に

 クリストファー・ノーラン監督の新作「オッペンハイマー」がようやく日本でも公開された。矛盾を抱えた一人の人間として「天才」オッペンハイマーを描いたこの映画の日本公開が遅れたのは、原爆投下というセンシティブな主題が原因だったと言われる。

 映画公開の前後には、この作品が原爆投下後の広島・長崎を直接的には描かなかったということに関心が集まった。ノーラン監督は、大掛かりな爆発の場面でもCGを使わない「リアル志向」の監督で知られるからだ。今回の映画でも、彼は人類初の核実験の爆発を「再現」している。もちろん、火力を再現したわけで、核兵器を爆発させたわけではない。ただし、ノーラン監督が「再現」できたのは、そこまでだった。オッペンハイマーの視点にこだわり、皮膚のただれた人間や黒焦げになった死体を彼の幻視として描くに留めた。ここからは次の二つの問題を引き出せるだろう。

 第一に、広島・長崎の惨状をリアルに「再現」できるのかという問題である。強い力を持つ映画表現が、被爆した人びとを「再現」してしまって良いのかという倫理的問題だ。

 かつて映画監督・吉田喜重は広島の原爆をテーマにして「鏡の女たち」(2002年)を撮ったが、その際「原爆投下を再現できるはずがない」と考え、原爆資料館が所蔵する写真を引用するに留めた。そこには吉田監督なりの一種の「誠実さ」があったが、ノーラン監督の表現からも同様の「誠実さ」を感じ取ることができる。

 もちろん直接的に描くのが「不誠実」だというわけではない。今村昌平監督の「黒い雨」(1989年)に代表されるように、リアルな再現にこだわったが故に胸を打つ表現もある。どちらも考え抜かれた末に選択された表現だという点が重要だろう。

 第二の問題に移ろう。それは、「ノーラン監督は広島・長崎をどのように描いたのか」という点に関心が集中するのはなぜか、という問題だ。言い換えれば、広島・長崎は誰の経験かという問題である。ハリウッド映画における原爆描写が話題になる理由は、私たちが広島・長崎は「日本人」に固有の経験だと認識しているからだろう。

 しかし、よく知られているように、広島・長崎で被爆し、命を落としたり苦しんだりしたのは「日本人」だけではない。その後に繰り返された核実験によって、世界中に「ヒバクシャ」が生まれた。また、映画が描いたように、原爆投下は科学者たちが心血を注いだ末の成功体験という側面もあり、米国民にとっては勝利の経験でさえあった。その事実を踏まえれば、広島・長崎の特別な経験を、その特別さを理解したうえで、より普遍的な経験へと開く回路の一つとして、映画「オッペンハイマー」を鑑賞するという手もあるのではないか。

 戦後、「赤狩りの時代」がやってくると、オッペンハイマーは左翼活動に関わっていたという過去の経歴が問題視され、政治的に苦境に立たされる。科学に国境はないが、科学者にはある。彼は、核の国際管理に期待を寄せ、水爆開発に批判的だったが、現実政治の前ではほとんど無力だった。国家が推進する巨大プロジェクトに関わる科学者たちは、必ずしもいつも人類に幸福をもたらすわけではない―そのジレンマを一身に背負ったオッペンハイマーの不安定さは、人工知能(AI)やビッグデータやドローン兵器が当然のように使用される現代世界に慣れてしまった私たちの目を覚ましてくれるだろう。

 この映画は、広島・長崎の惨状と被爆者と周囲の人びとの長きにわたる苦しみを、私たち自身で補って理解するための余地をあえて残している。従って、この映画は映画館だけでは終わらない。広島・長崎の資料館を訪問してもいいし、世界の「ヒバクシャ」について関心を深めるのでもいい、ロシアのプーチン大統領の核による恫喝(どうかつ)を思い出すのでもいい。そうやって世界の見方を変えることで、鑑賞者が自らエンドマークを打つ―そんな映画なのである。

 1984年奈良県桜井市生まれ。京都大大学院文学研究科博士後期課程修了。専門は日本近現代史、メディア文化史、歴史社会学。著書に「核エネルギー言説の戦後史1945~1960」「核と日本人―ヒロシマ・ゴジラ・フクシマ」「原子力の精神史」など。

(2024年4月13日朝刊掲載)

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