在外被爆者 願いは海を超えて 第4部 提言編 <6> 日本被団協代表委員 坪井直さん(77)
02年8月15日
命第一まず実利を 事業活用し権利拡大
―在外被爆者の現状をどう感じていますか。
国境を越えただけで被爆者援護法が適用されないのは気の毒でならない。被爆者はどこにいても被爆者であり、同じ仲間と思っている。どの国にいようが、被爆者としての苦しみが消えるわけではない。
友思い「心苦しい」
―苦しみとは。
被爆者は、何か体の調子が悪いと「原爆のせいではないか」と心配になる。あの日、放射線を浴びたことが頭から離れることはない。身体的な不安に加え、結婚や就職で差別がひどい時期もあった。まして、原爆投下を正当化している米国では、さらに冷たい目で見られるなど、異郷に暮らすつらさがある。日本の被爆者以上に厳しい環境にあると思う。
―パラグアイに同級生の被爆者が暮らしているそうですね。
広島工業専門学校(現広島大工学部)で一緒だった。戦後の日本は貧しく、国に奨励されて南米に渡り、パラグアイに定住した。いわば日本のために母国を離れた。そこらの事情をもっと考えないといけない。
十年ほど前に広島で再会した時、「医療費が高くて、風邪くらいじゃあとても病院に行けない」とこぼしていた。日本に残った被爆者が無料で医療を受けられることを考えると、心苦しい。何とかしないといけない。
―国は本年度、在外被爆者への支援事業を始めました。
被爆者健康手帳を取るための渡航費補助など、「日本に来たら面倒を見ましょう」という発想であり、まだまだ不十分だ。
援護法適用求める
―海外の被爆者の間に「高齢で来日は無理だ」との反発があり、事業は行き詰まっています。
その気持ちは痛いほど分かる。ただ、日本に来られる被爆者もいるわけで、事業全体をボイコットするのではなく、実利を取る道も考えた方がいい。理想的な内容でないと受け入れられないのであれば、待っている間に被爆者は次々に死んでしまう。
被爆者にとって残された時間は少ない。まずは、利用できる事業を使いながら、足りない点をさらに求めていけばいい。日本の被爆者も少しずつ権利を獲得してきた。各国の被爆者団体のリーダーは不満があっても、被爆者の命を第一に考えて行動してほしい。
―六日に広島市であった「被爆者代表から要望を聞く会」で坂口力厚生労働相に要望しました。
坂口厚労相は従来の発言を繰り返すだけで満足できる答えはなかった。国対国の話でもあり、厚労相の立場では答弁には限界がある。やはり小泉首相に出てほしかった。
―最終的にはどんな支援策を求めますか。
被爆者援護は国家補償に基づいてなされるべきであり、在外被爆者にも被爆者援護法を適用すべきだ。「被爆者はどこにいても被爆者」を原則に国に訴えていく。=おわり=
(荒木紀貴、城戸収、森田裕美が担当しました)
<つぼい・すなお>爆心地から1.2キロの広島市中区富士見町で被爆した。戦後は教職の道へ。86年、広島市立城南中校長を最後に退職。94年、故伊藤サカエさんが理事長を務めていた広島県被団協事務局長に。2000年から現職。
(2002年8月15日朝刊掲載)