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[ヒロシマの空白] 「原爆裁判」 立証の足跡 提唱の故岡本弁護士 構想メモや冊子現存

国際法違反 世界初認定の原点

 東京地裁が裁判所として世界で初めて米国の原爆投下を国際法違反と判断した「原爆裁判」(1963年判決)で、訴訟を提唱した原告側の弁護士、岡本尚一さん(58年に66歳で死去)の裁判の構想メモ約30枚や、賛同を募るための冊子が遺族の元に残っていた。専門家は、被爆者や市民が核兵器廃絶を訴える足がかりになった裁判の原点が伝わる貴重な資料とみる。(編集委員・水川恭輔)

 原爆裁判は、広島、長崎で原爆の被害を受けた5人が55年に提訴。原爆の投下は国際法違反と訴え、戦争中の米国の不法行為で生じた賠償請求権を戦後に放棄した日本政府に補償を求めた。

 裁判の構想メモは原稿用紙の裏表に書かれ、訴訟の研究を本格化させた52年ごろのものとみられる。「広島、長崎の無数の平和的人民(非戦闘員)が、言語に絶する殺傷の損害を被った」「対日原子爆撃は国際法の違反行為」などと記述。被爆の実態を踏まえて、国際法違反の立証に努めた足跡が伝わる。

 岡本さんは当初、米政府や原爆投下に関わった指導者らの提訴を構想したが、サンフランシスコ平和条約(52年発効)による請求権放棄などを考慮し、日本政府を被告に切り替えた経緯がある。

 国内外に広く賛同を募ろうと作った冊子「原爆民訴或問(みんそわくもん)」(53年)は日本語版と英語版の双方が残っていた。提訴の法理論や意義が記され、後に裁判所に提出する訴状の土台になった。

 提訴から8年後に言い渡された東京地裁判決は原爆投下について、多くの市民が暮らす広島と長崎が無差別に破壊されたことや、なおも続く放射線被害を挙げ、国際法に違反する戦闘行為に当たると認定した。個人は特に条約で認められた場合を除き国際法上の賠償請求権を持たないなどとして原告の請求を棄却したものの、国の被害者救済策は不十分とし、立法での援護拡充を求めた。

 敗訴判決だったが、原告側は国際法違反などを認定した内容を評価。控訴せず判決は確定した。判決をまとめた裁判官3人の1人は、放送中のNHK連続テレビ小説「虎に翼」の主人公のモデル、故三淵嘉子さん。

 資料は、岡本さんの孫の村田佳子さん(69)=兵庫県芦屋市=が自宅で保管。広島の公的施設に寄贈する考えだ。

本気度が伝わる

被爆史を研究する宇吹暁・広島女学院大元教授の話
 原爆裁判の判決は、原水爆禁止運動に大きな影響を与えた。裁判を提唱した岡本尚一さんがどのように原爆投下責任を追及しようとしていたのかを浮き彫りにする点で貴重だ。「原爆民訴或問」の英語版は初めて見た。当初米国の裁判所で米国を提訴しようとしていた本気度が伝わってくる。

(2024年4月21日朝刊掲載)

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