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連載・特集

ヒロシマの空白 未完の裁き <3> 原爆民訴或問

「投下は違法」米提訴唱え

 極東国際軍事裁判(東京裁判)の判決から5年後の1953年。大阪の事務所に戻っていた弁護士の岡本尚一さんは「原爆民訴或問(みんそわくもん)」と題する9ページの冊子をまとめた。原爆投下は国際法違反であり、米政府や関わった指導者に損害賠償を求める民事訴訟を起こせる―。研究の末、抱いた持論を伝えるためだった。

 「損害賠償訴訟の可能を世界に示すこと自体が平和に寄与する」(「原爆民訴或問」)。岡本さんを研究に駆り立てたのは米国の姿勢だ。

謝罪や反省なく

 52年4月28日。日本と米国などの連合国諸国が結んだサンフランシスコ平和条約が発効し、日本は独立を回復。これを機に、岡本さんは米国の指導者たちが原爆投下に謝罪や反省を表明するよう期待した。だが、決して聞こえてこなかった。

 すでに60歳を迎えていたが、民事訴訟ならば個人でも責任を追及できると考え、国際法や米国の法律を研究。枕元にも筆記用具を欠かさず、思いつけばその都度メモしていたという。孫の村田佳子さん(69)=兵庫県芦屋市=の元に、膨大な文献表やメモが残る。

 その成果をまとめた冊子は、次の理由から訴訟が「可能」と説いた。

 一つは、原爆の類を見ない残虐性。猛烈な爆風と熱線は広大な地域を破壊してあまたの市民を殺傷し、放射線が苦しみをもたらし続ける。ハーグ陸戦条約が禁じている無差別攻撃や「不必要な苦痛を与える兵器」の使用に当たり、国際法違反は間違いないと考えた。

 もう一つは、人権の尊重。全人類の尊厳を掲げた世界人権宣言(国連で48年採択)や、47年施行の日本国憲法が定める基本的人権の保障を請求の根拠に位置づけた。

構想に激励の声

 サンフランシスコ平和条約は、戦争から生じた米国に対する日本の賠償請求権を放棄すると定める。だが、被害者はなおも被爆の影響に苦しむ。原爆に関わる賠償請求権の放棄は、被害者の人権の観点で「無効」と訴えた。

 岡本さんの訴訟の構想は53年1月、新聞で報じられた。すると、原爆被害者から次々と激励の手紙が届いた。送り主には、広島への原爆投下で妻子と孫を奪われ、兵庫県内の親族の家に1人身を寄せる男性もいた。  若い頃から短歌を続け、歌集を出したこともあった岡本さんは、当時の思いを詠んでいる。

 「夜半に起きて被害者からの文読めば涙流れて声立てにけり」(岡本さんの歌集「人類」)  岡本さんは同3月、構想を伝えるために被爆地広島市に向かった。

サンフランシスコ平和条約
 1951年9月、日本と連合国48カ国の間で結ばれた第2次大戦の法的な戦争状態を終わらせる条約。52年4月の発効により連合国軍の占領が終わり、日本は独立を回復した。日本は戦争から生じた連合国への賠償請求権を放棄し、署名した連合国も一部を除き日本への請求権を放棄した。ソ連、中国抜きの「単独講和」となり、日本が西側陣営の一員に加わる道筋を決定づけた。

(2024年4月24日朝刊掲載)

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