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社説・コラム

[ひと まち] 被爆証言 英語指導で支え

 原爆ドーム(広島市中区)近くの英会話教室に米国人の「ムサシ」がいる。風貌が似ていると言われた日本の剣豪の名前を自らのニックネームにする講師のリーバイ・バーノンブライさん=中区。被爆者や被爆2世たちに英語を教え、きのこ雲の下の記憶の世界への発信を支えてきた。

 米ウィスコンシン州のミルウォーキー出身。高校の授業で日本語に関心を持ち、大学時代には秋田県に留学した。「世界を旅したい」と非政府組織(NGO)ピースボートの乗船スタッフとして各国を巡った後、2007年に偶然、仕事がみつかった広島へ移り住んだ。中学校などでの外国語指導助手を経て英会話講師として独立した。

 転機は15年、広島市が養成した「被爆体験伝承者」として母親の体験を語っている女性との出会いだった。「ヒロシマのことをもっと世界に伝えたい」という女性に、被爆証言で使う英語を指導する中で「原爆の被害をちゃんと理解していなかった」と痛感した。

 その後、原爆資料館でも被爆者や2世に英語を教え始め、この地に刻まれた惨禍の記憶に触れる機会が増えた。想像を絶する悲惨な体験。それでも、原爆を投下した米国生まれの自分に優しく接してくれる被爆者にも出会い「幼い頃にひどい経験をしたのに、その怒りを乗り越えたことに驚いた」という。

 証言を英訳する際に大切にするのは、被爆前のささやかな日常を示すエピソードだ。1発の原爆で壊滅した街に確かにあった人の営み。それが外国人にも伝わるように丁寧に訳してきた。

 昨夏から訪日客向けのサイクリングも始めた。平和記念公園(同)周辺を巡りながら、公園内にかつてあった繁華街のことも話題に織り交ぜる。被爆者の生徒たちから教えられた「原爆で消えた街」の存在だ。「ここにあったものが分からないと、失われたものが分からない」。言葉の壁を越え、ヒロシマの心を紡ぐ架け橋でありたいと願う。(太田香)

(2024年4月24日朝刊掲載)

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