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連載・特集

緑地帯 平野薫 ものの声②

 高校卒業後、私は美術を勉強するために広島の大学に進学した。学生生活を終えて、関東での数年間を経て、2009年からの6年間を、ドイツのベルリンで過ごした。

 ベルリンは、東と西が壁で分断されたという歴史を持つ。市内には、今もベルリンの壁の痕跡が残されていて、街を歩くと、その歴史を体感できる。

 私は、地下鉄のベルナウアー通り駅の前、旧東ドイツ側の築100年以上のアパートに住んでいた。ベルナウアー通りは、ベルリンの壁があった通りで、アパートの窓から西側へ飛び降りて逃げる人がいたり、東から西へと抜ける地下トンネルが掘られたりした場所だ。

 その古いアパートは、ブレーカー、こんろ、バスタブなどいろいろなものが古かった。とくに印象に残っているのが地下室だ。倉庫がある地下室は薄暗く、古いれんがはむき出しで、近所にある西へと抜けるトンネルもこんな地下にあるのだろうと想像した。またある時には、浴室の壁の分厚く何層にも塗り重ねられた白いペンキの端に、青い花柄模様の古い壁紙を見つけて、昔の住人のその部屋での暮らしを想像したりした。

 この部屋での暮らしは、東西分断の時代にも、誰かの日常が確かにあったことを私に気付かせた。ベルリンの壁があったとか、広島と長崎に原爆が落とされたとか、歴史という大きな話の中には、ひとりひとりの小さな話、そして暮らしがあるというあたりまえのことを。(美術作家=広島県安芸太田町)

(2024年4月24日朝刊掲載)

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