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社説・コラム

[歩く 聞く 考える] ヒロシマ平和メディアセンター長 金崎由美 映画「オッペンハイマー」と原作者 負の歴史 直視する機会に

 9年ほど前、原爆開発を巡る米国外交史の研究者、マーティン・シャーウィン氏の取材で首都ワシントンの自宅を訪ねた。「私の授業に参加しては」と提案され、勤務先のジョージ・メイソン大とを往復する車にも同乗させてくれた。気さくな人柄で、広島からの訪問者を喜んで迎えてくれた。

 その車中で「共著が映画になりそうだ」と聞いたのを覚えている。「オッペンハイマー 『原爆の父』と呼ばれた男の栄光と悲劇」。米原爆開発を主導した科学者ロバート・オッペンハイマーの伝記である。「原作者が満足する作品になるでしょうか」と尋ねると「あれだけ複雑な人間の映画を製作するのは簡単ではないだろうね」。どこかうれしそうだった。

 米ピュリツァー賞受賞作だけに映画化のオファーは複数あったろうが、あれはクリストファー・ノーラン監督作品「オッペンハイマー」のことだったのかも、と後に思い出した。今年の米アカデミー賞を席巻し、米国から8カ月遅れで広島でも上映中だ。

 米国では、核兵器の恐怖に警鐘を鳴らす作品として核軍縮推進派も高く評価した。開発成功の称賛に浴しながら、大量破壊兵器を生み出したことに苦悩。さらに「赤狩り」で挫折する主人公の半生が共感を呼んだ。3時間の長編作だが、繰り返し見ても飽きない。

 2007年出版の原作日本語版は、上下巻合わせて千ページ近い。膨大な資料分析に基づく労作だ。ただ、原作の読後感と映画鑑賞後の余韻は、どうしても違ってくる。

 映画は、原爆犠牲者を可視化させぬまま、エリートの苦悩への共感をかき立てる。原爆が「戦争を終結させた」「100万人の命を救った」と流布する米世論の「原爆神話」を明確に退けるには至っていない。広島と長崎の地上の惨状は描かれず、被爆地では「欠落」に対する批判が聞かれる。

 一方、批判で終わらずこちらの「欠落」にも目を凝らさねば、との思いも強めている。映画館に足を運ぶたび実にさまざまな気づきを得る中で、1点だけ記したい。

 原爆被害の実態だけでなく、「戦争中の残虐な旧日本軍」に関連する描写もないことが作品の特徴だろう。日米とも、誰も自国の戦争加害を非難された気持ちにならずに鑑賞できる。万人向けのハリウッド映画ならではだ。

 それが被爆地にとって何を意味するのか。「戦争は真珠湾攻撃に始まり、原爆投下と続くポツダム宣言受諾で終わった」などともっぱら日米関係の面だけで第2次世界大戦に注目するほど、アジアに対する日本の戦争責任への意識は希薄になりがちだ。核兵器廃絶と戦争なき平和を訴えるとき、問われるべきヒロシマの思想の屋台骨だろう。そもそも、日本は真珠湾攻撃の前から中国侵略や仏印進駐に出ていたのである。

 シャーウィン氏を訪ねたのは、米スミソニアン航空宇宙博物館で1995年の開催が計画された「原爆展」を検証する取材が目的だった。広島原爆の投下機エノラ・ゲイの一部復元と併せ、原爆資料館が所蔵する「黒焦げの弁当箱」や投下の必要性を疑問視する記録資料も展示する最初の案は、「原爆神話」を信じる全米世論の猛反対に遭い、最終的に頓挫した。

 シャーウィン氏は展示諮問委員として当初計画を支持していた。2020年8月には、米紙に「ソ連参戦が日本敗戦を決定付けることをトルーマン大統領も知っていた」と共同寄稿。「原爆投下は戦争終結に必要なかった」と強調し、「原爆神話」に批判を加えた。もっとも、これは裏を返せば、日本にとっておびただしい自国民の犠牲も戦争終結の決定打ではなかったという指摘である。

 ジョージ・メイソン大の授業も同様のテーマで、歴史研究の蓄積を踏まえた議論を学生に促していた。耳を傾けながら、米国は原爆使用を「必要だった」と見なす限り「また必要になる」との見解は捨てないだろう、と考え込んだ。

 米紙寄稿は「核兵器使用を巡る誠実な国民的対話」の必要性も説く。原作の共著者カイ・バード氏は映画を評価するが、21年に死去したシャーウィン氏に感想を問うことはできない。実は全面肯定ではないかも…と思ったりする。ただ、映画を起点に皆が自国の不都合な歴史を直視し、縦横に議論し、「欠落」を真に探ろうとするなら喜ぶに違いない。

(2024年4月25日朝刊掲載)

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