ヒロシマの空白 未完の裁き <5> 外務省の暗躍
24年4月26日
font-size:106%;font-weight:bold;">警察に「思想調査」依頼
外務省の過去の機密文書を所蔵する外交史料館(東京都港区)。「第二次世界大戦関係雑件」と書かれた分厚いファイルを開くと、広島市の「原爆被害者の会」の会則を記した紙が挟まっていた。用紙には「国家地方警察本部」(現警察庁)という赤い字も―。
警察が、米国に対する原爆被害への損害賠償請求訴訟の準備をしていた同会や弁護士の岡本尚一さんを「思想調査」するために集めた資料だ。ファイルをめくると、調査の経緯が見えてくる。
発端は、1954年1月14日付の米紙サンフランシスコ・クロニクルの報道。社説で岡本さんらの動きを「共産主義宣伝の武器として危険かつ警戒すべきもの」と論評した。日本で提訴に向けた「原爆損害求償同盟」が結成された直後だ。
当時、米国で反共産主義の「赤狩り旋風」が吹き荒れていた。同じ社説はなおも苦しむ原爆被害者には目をつむり、訴訟は「米国の恨みを買う可能性がある」と主張。日本政府に関係者の「真の動機」の調査を求めた。
対米関係に神経
この記事に現地の武内龍次・駐米臨時代理大使はすぐに反応。岡崎勝男外相に宛て、記事の切り抜きと、指摘された調査を求める文書を送った。「影響は大きい」と伝えられており、対米関係の悪化を懸念する外務省の神経質ぶりが分かる。
外務省は、法務省と警察当局に「経過及び背後事情等」の調査を依頼。両者は、求償同盟の規約や岡本さんの発言が載る記事も事細かに集めた。関係者に日本共産党員がいるかどうかも調べ、4月までにこう答えた。
「『原爆使用禁止』の文字は、左翼系諸団体の好んで用うるところであるが、これ等団体との結びつきは人的にも思想的にも看取されない」。内容は岡崎外相、井口貞夫駐米大使に共有された。
外務省には岡本さんたちが原爆の禁止による「世界正義の確立」と「原爆被害者の基本的人権」を掲げている点も報告されている。岡本さんから見れば、本来は政府が筋を通して取り組むべき課題だっただろう。
抗議は1度きり
「本件爆弾を使用するは人類文化に対する罪悪なり」。政府は広島への原爆投下の4日後、投下を違法と訴える抗議文を米国に提出した。だが、政府の原爆投下への抗議はそれ1度きり。占領期を経て対米協調が優先事項になっていた。
もっとも、岡本さんも人権擁護に関心を持つ米国人と接触し、協力関係を築けないかを探っていた。その中には、被爆地を踏んだ大物もいた。
(2024年4月26日朝刊掲載)