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社説・コラム

『この人』 第14代原爆資料館長に就任した 石田芳文(いしだよしふみ)さん

 来年の被爆80年を前に、この春、広島市を退職して原爆資料館長に就いた。平和行政を経験し、被爆者や市民の核兵器廃絶への強い思いを知るだけに「役割の大きさをひしひしと感じる」。柔和な笑顔を浮かべつつ、身を引き締める。

 2011年から3年間、市の被爆体験継承担当課長を務め、資料館のリニューアル事業を担当した。実物資料を中心にした展示内容を重視し、原爆投下直後の被爆者を表した人形を撤去する市の方針に賛否が割れた時期。市議会や市民への説明に追われたが「入館者の真剣なまなざしを見ると、今の展示で良かった」。国内外から寄せられる折り鶴を再生紙に活用する事業も進めた。

 安佐南区出身。近親に被爆者はいない。06年に派遣された広島平和文化センターで転機となる出会いがあった。要人が資料館を訪れた際、元館長で被爆者の故高橋昭博さんに証言を依頼し、そばで何度も聞いた。「核兵器廃絶への信念が一つ一つの言葉から伝わり、自分の責務を果たさねばと思った」と振り返る。

 資料館長となり、取り組むべき喫緊の課題が入館者数の増加に伴う混雑対策だ。「外国人も多く、多様な感性、価値観がある中で、いつ誰が来ても被爆の実相が伝わり、平和への思いを新たにしてもらえる資料館にしたい」

 広島東洋カープの大ファンで、故衣笠祥雄さんに憧れる野球少年だった。休暇には、一人旅で東南アジア各国を訪れたという行動派。今も動物園巡りや登山を楽しむ。安佐南区で妻と暮らす。(山下美波)

(2024年4月26日朝刊掲載)

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