×

社説・コラム

『想』 山内若菜(やまうちわかな) 小さな声 命の発露

 絵の始まりは、自分を含めた最も小さな声、命の発露―。個展会場でのトークを、そんな言葉で切り出しました。

 旧日本銀行広島支店(広島市中区)で3月末に6日間、「命を描く」と題した個展をしました。広島の被爆樹木に着想した大作や、福島の原発事故で放射能汚染された牧場を描いた作品などが並びました。

 よくぞ描いてくれたと、中国新聞を手にしたたくさんの方にお越しいただきました。原爆が落とされた後、倒れた方の内臓にはだしで触れた時の感覚を含め、被爆者の方から体験や思いも教えていただきました。

 原発事故の犠牲である死産の馬をモチーフにした立体作品を、被爆し倒れた馬と重ねてご覧になる方もおられました。つらい記憶を呼び起こす作品が多いですが、「命を見つけることができ、希望がある」との感想を頂きました。会場と同じく被爆建物である旧陸軍被服支廠(ししょう)(南区)でいつか展示を、との要望も頂きました。

 今回は初めて、制作の裏側の生々しさも見せてしまった展示でした。私はいわゆる「ブラック企業」で15年働き、そこで費やしてしまった人生と、福島でないがしろにされた家畜の命のあり方を重ねて絵を描き始めたという歴史があります。

 広島では、それを前向きにさらけ出せたのです。全てがつながっている、同じ問題なのだ―。傷だらけの絵、つまり自分自身を、広島の皆さまが温かく迎え入れてくれたように感じ、とてもうれしかったです。

 絵描きは絵で世界を変えられない。よく言われます。戦争は続き、命が物みたいに扱われ、失われています。それでも、どうにかしたい、何かしたいとあがくように命を描き続け、命が大切と大騒ぎがしたい。

 小学生が来て「クマムシ描いてるって本当? すげ、マジいる! クマムシって宇宙空間でも生きられるって知ってる?」ときらめくまなざしを向けてくれました。小さな声、命の発露。またいつか広島のどこかで、小さな声を放ちたいと思います。(日本画家=神奈川県藤沢市)

(2024年4月26日朝刊セレクト掲載)

年別アーカイブ