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社説・コラム

天風録 『第九の200年』

 大型連休のドライブ中に故小澤征爾さん指揮の名盤CDを繰り返し聴いた。「第九」である。耳に心地よく、切れのいい交響曲の調べと、人類の調和を歌い上げる第四楽章の合唱。極東の地でこうも愛されるとはベートーベンも予想できなかっただろう▲ウィーンの劇場での初演から、きょうで200年。前代未聞の大胆な構成ゆえに本番までどたばた続きだったらしい。歌手陣が3日前にやっと決まったり、集まりが悪く練習が流れたり▲聴力を失っていた楽聖。初演の指揮を終えても万雷の拍手に気付かなかったとされるが、後に話が盛られたと見る研究もある。それらも含めて第九を巡る物語は東西を問わず伝えられる▲逸話の一つを思い返した。戦時下の1943年12月、東京音楽学校(現東京芸術大)で学徒出陣の学生たちを第四楽章の演奏で送り出した。そして終戦を挟んで4年後、帰らなかった彼らのため再び…。それを恒例の「歳末第九」の起源とする説が▲世界に戦火が絶えなかった200年。「全ての人々が兄弟となる」と歌う第九の理想は、いまだ果たせない。行楽で心和ませる一方、ガザの休戦交渉が進まない現実に胸を痛めたまま連休が終わった。

(2024年5月7日朝刊掲載)

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