ヒロシマの空白 未完の裁き <14> 元記者の市長
24年5月6日
取材土台に「違法」訴え
1963年の「原爆裁判」判決から4年後の67年。中国新聞に裁判の意義や課題を伝える連載記事が載った。中国地方の近代史に関する企画「日本の血」の一環で、岡本尚一さんによる提唱から判決までをたどった。
「追及姿勢 感動」
「被爆者が日本政府からも見捨てられる中、米国の責任を追及しようとした岡本さんに感動した。私が今でも米国の原爆投下責任にこだわる原点は、ここにある」。編集委員として取材をした平岡敬さん(96)=広島市西区=は力を込める。
裁判の鑑定書などを読み込み、「原爆投下は国際法違反」の判断を言い渡した東京地裁裁判長の古関敏正さんも取材。連載の最後で「『原爆裁判』の意味をもう一度問い直すことは、原水禁運動、被爆者救援運動を進めていくために、極めて重要な作業だ」と指摘した。
その28年後の95年。広島市長に就いていた平岡さんは、核兵器の使用・威嚇が合法か否かを審理する法廷で、被爆地の首長として陳述する機会を得た。審理は、国連の主要司法機関、国際司法裁判所(ICJ、オランダ・ハーグ)が開いた。
審理は、核兵器廃絶を目指す法律家や医師たちの「世界法廷運動」が火付け役となった。原爆裁判の原告側弁護士、松井康浩さんも関わった。
使用の実例を扱った原爆裁判とは異なり、核使用・威嚇に対する純粋な国際法上の評価が問われた。各国の陳述で、米国の「核の傘」を求める日本政府はまたも「国際法違反」とは明言しなかった。
二つの原則踏襲
一方、平岡さんは「原爆裁判の取材経験が陳述の下敷きになった」。被害の無差別性と、「不必要な苦痛」を与える放射線の残虐性という二つの原則で違法と判断した原爆裁判の判決を陳述の論理構成の土台にして、こう訴えた。
「市民を大量無差別に殺傷し、今日に至るまで放射線障害による苦痛を人間に与え続ける核兵器の使用が国際法に違反することは明らか」
伊藤一長・長崎市長も同じ立場で陳述。政府は両市長の発言を「政府の立場から独立したもの」と距離を置いた。ICJが翌年に出した勧告的意見は核使用・威嚇を「一般的に国際法違反」と判断。理由の大枠は同じ2原則を踏襲していた。
この意見は、核兵器を全面的に禁じる核兵器禁止条約制定への機運を高めた。2017年、122カ国・地域の賛成で禁止条約が採択された。
原爆裁判が源流の一つとなった禁止条約は被爆地広島の多くの被爆者や市民の悲願だった。23年5月。そこに核保有国を含む各国首脳が集った。
核使用・威嚇に関する国際司法裁判所(ICJ)の勧告的意見
ICJは国連の主要機関の一つで、国際的な法律問題に勧告的意見を与えることができる。核使用・威嚇については国連総会の求めなどを受けて審理され、1996年に「一般的に国際法違反」とする勧告的意見を示した。一方で、国家存亡に関わる自衛の極限状況においては「違法か合法か結論を出せない」とした。
(2024年5月6日朝刊掲載)