×

連載・特集

ヒロシマの空白 未完の裁き <13> 政府の反応

「国際法違反」判断に背

 「国際間でいろいろ議論のあるところでございます。私は、わが国の裁判所の判決に対しましてここで批判を加えたくはございません」

 原爆投下は国際法違反に当たるとした東京地裁の「原爆裁判」判決から3日後の1963年12月10日、広島県出身の池田勇人首相は開会中の国会で野党の社会党議員から判決への見解を問われ、こう答えた。判決への不満がにじんだ。

根拠ないと答弁

 この判決を評価する野党側の議員はその後も、予算委員会などで政府に質問を続けた。政府は「(原爆使用を禁じる)実定国際法が存在せず、違反と判定する根拠はない」などと答弁。判決や国際法学者の鑑定で否定された主張を続けた。

 判決は原爆投下国の米国にもすぐに伝わった。米政界の共和党、民主党双方の有力者が「東京地裁の非難は日本の真珠湾攻撃に当てはまる」などと相次いで反発している―。判決の2日後、そう伝える通信社の配信記事が日本の新聞に載った。

 「戦争を終わらせた」などと原爆投下を肯定的にみる米国人の反発は必至だった。判決はハーグ陸戦条約への違反を認定したが、同条約のような戦争に関する国際法の違反は通常「戦争犯罪」と見なされる。原爆裁判は犯罪として責任者の罪が問われたわけではなく、判決に戦争犯罪の言葉は使われていないが、意味するものは通じていた。

 核兵器は使えば国際法違反、戦争犯罪であり、造るのも持つのも許されない―。判決は被爆者や市民がそう訴える根拠を与えた。原告側の弁護士の松井康浩さんは判決後すぐに、控訴見送りを提案。原告たちから賛同を得た。国への損害賠償請求は退けられたが、判決が政治による救済拡大を求めた点も考慮した。

 一方、裁判上は勝訴側の国は、原爆投下を国際法違反と認めた判決理由に関して控訴権があるかどうか専門家に意見を聴いたが、ないというのが結論だった。判決確定の流れができていた17日、「判決を尊重するか」との国会での質問に賀屋興宣法相は「尊敬いたしますが、完全にそうだとは思いません」と答えた。

被爆者運動の礎

 その後、判決は確定。被爆者運動や原水禁運動に大きな影響を与えた。日本被団協は「原爆被害者の基本要求」(84年)などの活動文書で判決に言及。核兵器廃絶と、原爆被害への国家補償を求める運動の礎とした。

 一方で、米国の「核の傘」を求める日本政府は「国際法違反」の判断に背を向け続けた。だが、被爆地の首長は国際法廷での核兵器廃絶の訴えに判決を生かした。

「原爆被害者の基本要求」
 日本被団協が1984年に発表した運動の要の文書。米国に対して「広島・長崎への原爆投下が人道に反し、国際法に違反することを認め、被爆者に謝罪すること」を求め、核兵器廃絶へ主導的な役割を果たすよう訴えている。日本政府には、被爆直後の犠牲者の遺族への弔慰金支給などを含む国家補償としての被害者援護を求めている。

(2024年5月5日朝刊掲載)

年別アーカイブ