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連載・特集

妖怪を考える 「ゲゲゲ」人気再騰 <上> 緩やかな信仰 日本人に親しみ

 境港市出身の漫画家、水木しげるさん(1922~2015年)の生誕100年を記念して製作されたアニメ映画「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」が昨年から今年にかけて公開され、大ヒットした。神仏への信仰心とも関わりの深い「妖怪」が躍動する作品だ。社会の合理化や風景の均質化が進み、その居場所が失われたかに見える現代にあって、妖怪はなぜ人々を引きつけるのか。2回に分け、インタビューで背景を探る。(山田祐)

死を意識するとき 異世界がヒントに

妖怪や怪談を研究テーマとし、複数の著作もある共立女子大(東京)の今井秀和准教授(44)に聞く

  ―妖怪に注目が集まっていますね。
 古来、日本人は身の回りで起きた不思議な出来事に対し、超自然的な存在を想定してきました。

 例えば、小豆を洗っているような音が聞こえてくるけれど誰も見当たらない。そうした現象を何度も説明するのが手間なので、「小豆洗い」や「小豆とぎ」などと名付けられ、口頭で伝承されるようになる―。

 信仰の対象でなくても何となく信じられてきた妖怪は、小さな「神」のような存在としても受け止められてきました。「座敷わらし」などがそうですが、民俗学者の柳田国男(1875~1962年)に代表される研究者たちは、そうした伝承を各地で一生懸命集めて回りました。それをものすごく丁寧に読み込み、姿を与えたのが水木しげるさんでした。

 現代日本における妖怪認識のベースとなっているのは、水木さんに代表される、戦後の子ども文化の担い手となった漫画家たちが描いた妖怪です。それぞれの地域で言い伝えられてきた妖怪が、絵画化されることで多くの人に同じ形でイメージされるようになりました。

  ―超自然的な存在というと、宗教上の信仰との関わりも深そうです。
 現代の日本には「自分は無宗教だ」と考える人が多くいます。でも、寺や神社があれば何となくでもお参りをするし、法事があれば当たり前に参列します。

 既成の教団に属していなくても、われわれが文化や習慣と認識していることの中に緩やかな宗教行為があります。身近な存在である小さな神を慕い、小さな宗教行為を続けてきたのが日本人だともいえます。

 一方で社会の合理化が進み、人と人のつながり方が変わって、子どもたちが妖怪の伝承に接する機会を持てなくなっているのも事実です。大人にとっても、過去に親しんだ懐かしい存在になってしまいました。

 しかし、年齢を重ねれば体調の不安や身近な人との別れを経験し、誰もが死を意識するようになります。死後はどこへ行くのか、自分とは何なのか―。漠然と不安を抱くこともあるでしょう。

 そんなとき、漫画やアニメなどを通して「異世界」を仮想体験することができます。答えというほどのことは得られなくとも、前へ進むヒントが見つかることはあると思います。

  ―水木作品の持つ力は、その意味で大きいといえそうですね。
 少年漫画誌では「ゲゲゲの鬼太郎」以降も、妖怪や異世界をテーマにした作品が途切れず掲載され続けています。近年は「鬼滅の刃(やいば)」や「呪術廻戦(かいせん)」など、大人世代も巻き込んで社会現象といえるほど流行する作品も目立ちます。

 映画「ゲゲゲの謎」のヒットも、作品が帯びている宗教性に引かれる人が多くいることの現れだと考えています。緩やかな信仰でも良いのだと思います、漫画やアニメ、ゲームを通した形であっても。そこには妖怪や小さな神々に親しみ、恐れてもきた日本人の昔からの姿があるように思います。

 ≪メモ≫映画「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」は、従来の「ゲゲゲの鬼太郎」シリーズとは趣を異にする大人向けの作風となっている。舞台は1956(昭和31)年、日本の政財界を裏で牛耳る龍賀一族によって支配されていた哭倉(なぐら)村。帝国血液銀行に勤めるサラリーマン水木は謎の薬「M」を追い、鬼太郎の父は行方不明の妻を捜すため、それぞれ村へ足を踏み入れて…。随所に登場する妖怪が作品の世界観を下支えする。

 昨年11月に封切られ、配給元の東映によると、興行収入は27億円に上る。現在も一部の映画館で上映が続いている。

(2024年4月29日朝刊掲載)

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