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社説・コラム

[知っとる? ヒロシマ調べ隊] 入市や救護も「手帳」の対象

Q 1945年8月6日は広島にいなかったのに「被爆者」だと言う人に会いました。どういうことですか?

 原爆放射線が人体に与える影響は原爆のさく裂時だけではありません。

 被爆者援護法は「被爆者」を①原爆が落とされた時、当時の広島市と長崎市など指定区域内にいた直接被爆者②2週間以内に爆心地からおおむね2キロ以内に入った入市被爆者③救護や看護、死体の処理に従事したり、「黒い雨」に遭って病気になったりした④被爆者のおなかにいた胎児―と定めています。

 ①~④のいずれかに当てはまると、国から被爆者健康手帳が交付され、手当受給などが可能になります。手帳はいわば、その人が「被爆者」であることを示す証明書ともいえます。厚生労働省によると、手帳を持つ人は昨年3月末時点で11万3649人です。

 ただ対象であっても、「自身の結婚や子孫への差別を恐れて被爆したことを隠していたり、手帳の申請に必要な証人が見つからなかったりして、手帳を持っていないために必要な援護を受けられずにいる人もいます」。広島県被団協(佐久間邦彦理事長)被爆者相談所の山田寿美子所長(80)は話します。

 「被爆者」の中には日本の植民地支配下の朝鮮半島出身者のほか、当時広島・長崎にいた外国人もいます。日本人移民も含め、被爆後に海を渡った「在外被爆者」は、長く日本の被爆者と同等の援護を受けることができませんでした。援護法の適用外だったためです。裁判を起こすなどして少しずつ道を切り開きましたが、多くの人が援護を待たず亡くなりました。

 また親を奪われた原爆孤児、わが子を失った親たちで①~④に当てはまらない人がたくさんいます。「被爆者」以外に多くの「原爆被害者」がいることを忘れてはなりません。(小林可奈)

(2024年5月14日朝刊掲載)

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