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[問われる「成果」 広島サミットから1年] G7首脳たちと面会 被爆者の小倉さん

核の残酷さ 世界が知った

逆行の動き 「無念感じることも」

 昨年5月に広島市で開催された先進7カ国首脳会議(G7サミット)から1年に当たり、参加国の首脳たちと原爆資料館(中区)で対話した被爆者の小倉桂子さん(86)=中区=が中国新聞のインタビューに応じた。「世界が広島で何が起きたかを知ったのは第一歩。時間はかかるけどみんなが自分にできることを」。核兵器の廃絶へ行動を呼びかけた。(野平慧一)

  ―サミットで、何が印象に残っていますか。
 首脳たちに通常兵器と核兵器の違いを伝えるため、私の被爆体験と、2歳で被爆し10年後に白血病で亡くなった佐々木禎子さんの話をした。放射線で娘を失う親の気持ちや核兵器が持つ残酷さを語ると、首脳たちに握手を求められ、言葉もない感じだった。

  ―2023年度の原爆資料館の入館者数は過去最多になりましたね。
 世界に核兵器への認識が広まった結果では。自分たちの代表が行ったんだから自分も行こうと。米国のオバマ元大統領が16年に広島へ来た時も、米国の修学旅行生や家族連れが増えた。子どもたちが大統領を選ぶようになる。その子どもたちにどう伝えるかが課題だ。

 広島を知ろうとする人が増えた。けど、知ろうともしない人が世界にはまだたくさんいる。食や特産を通じてまず広島を知ってもらうのも大切だ。

  ―「核なき世界」と逆行する国際社会の動きをどう見ますか。
 残念というか、もっと良くなると思った。遅々とした歩みだけど進んではいる。無念を感じることもあるけど、やらなきゃいけない。平和記念公園に人があふれているのがどんなにうれしいか。核兵器を持っていなくても戦争が起きるのは人間性の欠如。世界中を教育しなきゃいけない。亡くなっていった被爆者たちのために。

おぐら・けいこ
 広島市生まれ。8歳の時に爆心地から2.4キロの牛田町(現東区)で被爆した。原爆資料館長などを務めた夫の馨さんと1979年に死別後、80年ごろに海外から訪れる人たちの通訳とコーディネーターを始める。84年に「平和のためのヒロシマ通訳者グループ(HIP)」を設立した。

(2024年5月19日朝刊掲載)

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