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連載・特集

問われる「成果」 広島サミットから1年 <5> 「継承の芽」

体感の若者 平和へ行動

英語ガイドや核軍縮議論

 舟入高1年の明石華さん(16)=広島市南区=は、あの日と同じ場所に立つと「景色や緊張感を今も鮮明に覚えている」。先進7カ国首脳会議(G7サミット)が開幕した昨年5月19日。核兵器保有国を含む首脳たちが平和記念公園(中区)の原爆慰霊碑へ献花する際、岸田文雄首相に花輪を渡した。

 当時は宇品中3年。生徒会執行部の仲間と外交の場面を間近で見詰め、意識が変わった。「サミット後に仲間と平和について考える時間が多くあった。話し合いこそ、私たちの身近な生活でも外交でも大切。ニュースを見たり聞いたりするだけでなく、どうすれば問題を解決できるのか考えて行動するようになった」

 今月から、平和記念公園で外国人観光客向けの英語ボランティアガイドを始めた。国連児童基金(ユニセフ)職員など、発展途上国の支援に携わる仕事を志望する思いも強まった。

 地元でのサミット開催を機に国際情勢を注視するようになった若者はほかにもいる。大分県出身で広島大2年の奥田弥陽乃(ややの)さん(20)=東広島市=は、広島県の官民組織「へいわ創造機構ひろしま(HOPe)」の「ピース・キャラバン」(15人)に応募。昨年11月に米国とカナダを8日間かけて巡り、現地の若者と核軍縮などについて議論した。

 「核兵器なき世界」が実現した場合の安全保障の行方に関心を持ち、帰国後に核兵器問題を研究のテーマに設定。知識を深めるため米国の大学院への進学を目指す。

 「サミットは人生の中で大きな出来事。広島に来て良かった」。自身に与えた影響を語る一方、複雑な胸中も明かす。「サミットでは広島の復興も強調された。核兵器を使われてもここまで復興できると捉えられることに、被害が矮小(わいしょう)化される危険を感じた」

 1年前、首脳たちは慰霊碑ヘの献花に先立って原爆資料館(中区)を見学し、芳名録に平和への思いをつづった。だが、今も紛争は各地で絶えない。ロシアはウクライナ侵攻を続け、「核の脅し」を繰り返す。パレスチナ自治区ガザでは、イスラエル軍とイスラム組織ハマスの戦闘による死者が3万5千人を超えた。核抑止力を堅持する米国は14日に臨界前核実験をした。

 織田未来さん(18)=呉市=は舟入高3年の時に、平和記念公園でG7首脳たちの記念植樹に立ち会った。今秋から米国に留学し、経済を通した平和構築を学ぶ。「出身地に関係なく友人をつくれれば、他国での争いを自分ごととして感じられる。そういう環境をつくり、私は平和につなげたい」

 被爆地初のサミットを経て、若者たちは未来に向けて行動を起こし始めた。その思いに為政者は応える責任がある。(山下美波) =おわり

(2024年5月23日朝刊掲載)

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