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社説・コラム

[歩く 聞く 考える] 論説主幹 山中和久 サミット1年

広島が広島であるために

 新緑の平和記念公園(広島市中区)を歩いた。擦れ違う人の多くが外国人である。1年前の先進7カ国首脳会議(G7サミット)で被爆地広島への注目が高まったのは確かだろう。だが首脳らが目指すと誓った「核兵器のない世界」は遠ざかるばかりだ。

 胎内被爆者の三登浩成さん(78)は、原爆ドーム前でボランティアガイドを始めて18年になる。高校の英語教師だった経験を生かし、海外からの訪問客と連日、対話を続ける。「この1年間、外国人からサミットのことを聞かれたのは、ざっと3回ぐらい。それよりも、核兵器が使われるかもしれない現在進行形のリスクに危機感を抱く人が『広島を知りたい』とやって来る」と教えてくれた。

 先月来たドイツ人青年は、自分の住む町に米国の戦術核が配備されている。ウクライナに侵攻したロシアのプーチン大統領が核使用の威嚇を繰り返すたび、町は緊張を強いられ、避難する人も出始めたという。「戦地に近い欧州の人と話すと緊迫感が違う」と語る。

 そもそもG7は核保有国とその核に安全保障を頼る国のグループだ。それでも広島にトップが集い、被爆の実態に触れることで核廃絶への具体的な一歩を踏み出すのではないか―。そんな期待はサミット初日、核軍縮文書「広島ビジョン」の発表で裏切られた。

 核兵器のない世界を究極の目標として掲げながら、G7の核については「防衛目的のために役割を果たす」と核抑止を堂々と肯定。被爆地の長年の訴えとは相いれないものだった。これを被爆地選出の首相が率いる被爆国政府が議長国としてまとめ、広島の名を冠した事実に落胆するしかなかった。

 ウクライナのゼレンスキー大統領の飛び入り参加に驚かされた広島サミットの後、世界はどうなったか。広島大の川野徳幸・平和センター長は「絶対非戦を訴える広島でウクライナへの軍事支援が議論されたのは本当に残念だ。1年たった今も、その終わりは見えない」と語る。ロシアとウクライナを停戦に向けた対話のテーブルに着かせることはできぬままだ。

 イスラエル軍の攻撃でパレスチナ自治区ガザの人道危機は悪化の一途だ。イスラエルの閣僚は核使用を「選択肢の一つ」と口にした。同国と結び付きの強い米国の議員からは広島、長崎への原爆投下が戦争を終結させたという「原爆神話」を引き合いに、攻撃を正当化する発言が相次ぐ。許し難い。

 こうした国際情勢の中で、日本政府が主導して軍縮関連の幾つかの国際会合を開いたが、具体的な進展は得られていない。立ちはだかるのはやはり、「核には核を」という核抑止力への信奉だ。

 今月14日には米国が臨界前核実験を強行した。核を含む米国の拡大抑止へ依存を強める日本政府は抗議もしない。外交の独自性は狭まる一方だ。核なき世界を唱えながら、核の傘の意義を強調する岸田政権の矛盾が強まる。核兵器禁止条約にも背を向けたままで、昨年12月にあった第2回締約国会議へのオブザーバー参加を求める国内外からの要請も袖にした。

 懸念されるのは、米国寄りの政府方針に、時として広島市の姿勢が重なって見えてしまうことだ。

 8月6日の平和記念式典にイスラエルの代表を例年通り招待する市の方針に対し、市民や被爆者団体に批判が広がる。

 批判の視点は二つある。一つは「ジェノサイド(民族大量虐殺)を容認するメッセージになりかねない」との危惧だ。原爆ドーム前で抗議行動を続ける「広島パレスチナともしび連帯共同体」のメンバーで、広島市立大の湯浅正恵教授は「核さえ爆発しなければいい。そんな狭い平和でいいのか、考えていただきたい」と訴える。重い問題提起である。

 もう一つの視点は、ウクライナ侵攻が始まった2022年以降、「日本の姿勢に誤解を与え、式典の円滑な挙行に影響を及ぼす可能性がある」として招待していないロシアとベラルーシへの対応と異なる「ダブルスタンダード(二重基準)」だとの指摘である。

 松井一実市長は4月24日の記者会見で、「イスラエルの招待で、ベラルーシやロシアを招待する場合と同じことが起こるとは思わない」と指摘を否定した。

 しかし、その時の政治状況などで呼んだり呼ばなかったりする対応が果たして国際平和都市にふさわしいのか。ロシアやイスラエルのような国こそ招き「戦争をやめろ」と直接伝えるべきだと思う。

 核廃絶と非戦の原点に改めて立ち返りたい。平和を希求し発信し続けるために、市民社会と連携して核抑止から脱却するうねりを起こすために、そして広島が広島であるために、重要な局面ではないか。サミット1年に思う。

(2024年5月23日朝刊掲載)

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