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社説・コラム

[A Book for Peace 森田裕美 この一冊] 「タラント」 角田光代著(中央公論新社)

空でつながる過去と世界

 本書が描く「時」のスパンは長く、「世界」は広い。角田光代さんがコロナ禍に著した長編は、壮大な人間賛歌ともいえる物語である。第2次大戦があった昔も、遠い紛争地も、同じ空でつながっていて、世の中に今の自分と無関係の出来事なんてないと実感させる。

 主人公は40歳間近のみのり。東京で夫と2人で暮らす。何事にも情熱を持てず、「熱い人」が苦手。勤め先でも責任ある仕事から逃げている。学生時代にはボランティアサークルに入り、途上国や紛争地の難民キャンプで活動してきたのだが、ある出来事をきっかけに前を向けずにいるのだ。

 そんなみのりが気にかけているのは古里にいる祖父清美と不登校のおい陸。従軍経験のある清美は戦争で左足を失ったらしいが、口を閉ざしている。ある日、若い女性から清美に届いた手紙を見つけたみのりは、陸とその謎を探り始め…。

 手紙を媒介に、戦争、義足、パラリンピックがつながっていく。みのりが何に傷つき、陸がなぜ学校に行かないのかも見えてくる。若き日に戦争の不条理を体験した清美の半生と心の内が明かされる終盤は号泣必至だ。

 題名の「タラント」は古代通貨の単位。タレント(才能)の語源でもあり、例え話として聖書に登場する。「使命」の意味もあるそうだ。

 善意や義務感だけではどうしようもない厳しい現実に打ちのめされながら、みのりは人にはそれぞれの使命や才能があると気づく。大事なのは「想像できるか、できないか」ということにも。

 世界で戦禍が続く今、無力感を覚えている人も多かろう。人類のタラントは想像力と感受性、それを枯らさぬ力なのだと教えてくれる一冊だ。

これも!

①中澤晶子著「いつものところで」(汐文社)
②柴崎友香著「わたしがいなかった街で」(新潮文庫)

(2024年6月3日朝刊掲載)

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