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被爆地から奏でた魔法 アルゲリッチ 広響と5年ぶり協演 聴衆魅了 楽団員の「財産」にも

 魔法のような演奏で、広島に集った聴衆を魅了した世界的ピアニストのマルタ・アルゲリッチ。コロナ禍による公演中止を経て、広島交響楽団と5年ぶりの協演が5月12日に実現した。被爆地に心を寄せる「鍵盤の女王」が奏でた音色はネットを通じて世界に発信され、感動の輪は今も広がり続ける。6日間の広島滞在を取材した。(桑島美帆)

 今回の協演に選ばれた曲は、ウクライナ出身の作曲家プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番。アルゲリッチとのリハーサルが始まったのは、本番の前日だった。「ここは少し早く」「もうちょっとナーバスに」―。アルゲリッチの言葉に、指揮者のクリスティアン・アルミンクが即座に対応。瞬く間にオーケストラとの一体感が生まれた。

 本年度から、広響の音楽監督に就任したアルミンクはアルゲリッチと国内外で協演を重ねてきた。「彼女はピアノ界の巨匠だが、非常に謙虚。楽譜を読み込み、毎回新しい気付きを与えてくれる」と語る。

 本番では圧巻の演奏に拍手喝采がやまず、アルゲリッチは3曲のアンコールで応えた。満員の客席には、人気ピアニスト角野隼斗の姿も。「とてつもないエネルギーだけど自然にオーケストラ全体を動かす影響力は、『魔法』という言葉が一番しっくりくる」と感嘆する。

 楽団員たちにも深い印象が刻まれた。「マルタさんは進化を止めない。難曲を一筆書きのような勢いで弾き切った」と、過去にも協演経験のある首席ビオラ奏者の安保惠麻。昨年入団したバイオリン奏者山賀聖太は「美しさ、狂気、神秘を同時に感じ、本番は一瞬で終わった。生涯の『財産』となった」と振り返る。

 アルゲリッチに同行した調律師の山本有宗(東京)は「素晴らしい協演だったと、音楽界でも話題になっている」と話す。会場となったホールは音が響きにくく、本番直前までピアノの調整を重ねたという。

 アルゲリッチが広響と初協演したのは、被爆70年の2015年。その際、広響が掲げる「Music for Peace(音楽で平和を)」に共感し、広響から平和音楽大使の称号を受けることを快諾した。19年には広響のポーランド公演に出演。その後、東京と広島で協演が予定されたが、コロナ禍で中止となった。

 9年ぶりに広島を訪れたアルゲリッチが、多忙なスケジュールを縫って足を運んだのが平和記念公園のレストハウスだ。常設展示されている被爆ピアノを奏で、その様子を撮影した動画はネット上で拡散し、海外からも次々とコメントが寄せられている。(敬称略)

マルタ・アルゲリッチ
 1941年アルゼンチンの首都ブエノスアイレス生まれ。8歳でデビュー。65年にショパン国際ピアノコンクールで優勝した。96年フランス政府から芸術文化勲章オフィシエ受章。2005年旭日小綬章。現代を代表するピアニストの一人。

インタビュー 「明子のピアノ」優しい気持ちに

 アルゲリッチにインタビューし、広響とヒロシマに寄せる思いを聞いた。(桑島美帆)

  ―久しぶりの広響との協演はいかがでしたか。
 スペシャルで素晴らしいコンサートになった。とてもエンジョイした。アルミンクは私が信頼する指揮者。広響の音楽監督に就任して良かった。

  ―広島の印象を聞かせてください。
 私にとって特別な場所。美しい景色だけでなく、人々は熱心で、優しい。コンサート会場も温かい雰囲気に包まれていた。ぜひまた訪れて広響と協演したい。

  ―被爆ピアノを試奏した時、何を感じましたか。
 非常に良い状態に保たれており、すてきなピアノだ。持ち主だった河本明子さんは学徒動員中に被爆して19歳で亡くなったと聞き、とても痛ましく、心を打たれた。シューマン「子どもの情景」とラベル「水の戯れ」を弾いたのは、好きな曲だから。「明子のピアノ」を弾いていると優しい気持ちになる。

(2024年6月1日朝刊掲載)

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