緑地帯 アシュリ・サウザー ガザに思いを寄せて③
24年6月6日
私がガザに住んでいた1990年代、ショッピングモールや映画館での娯楽は現地のパレスチナ人にとって縁遠いものだった(今、イスラエル軍の破壊によってそれが失われている)。当時、そこにあって私の記憶に残るのは、地中海に面したビーチ、おいしいアラビア料理、そして友達である。
ガザでの夏、友達とビーチで相撲をして楽しい時間を過ごした。英語指導助手として以前に赴任した日本で覚えた。
砂浜に円を描き、塩のつもりで砂を空中にまき、しゃがんで四股を踏む。異国情緒あふれるパフォーマンスは、多くのパレスチナ人に大うけだった。
ガザで最初に親しくなった友人とは、何度、相撲をとったことだろう。彼といつも一緒にいたのが弟のマフムードだ。当時14歳で、私と組み合う兄の窮地に大喜びしながらも、最後は仲間と一緒に私を土俵の外に押しやった。
時を経て、マフムードは「国境なき医師団」で働く医師になった。そのドクター・マフムードは、「患者を見捨てることはできない」とガザ北部からの避難を拒否し、他の2人の医師とともに昨年11月、イスラエル軍に殺された。最後にこんなメッセージを残したという。「世界は私たちを見捨てないという希望を持っている」
軍事力世界一の米国に支えられたイスラエルの最も先進的な軍隊でさえ、マフムードに故郷や彼を頼りとする人々を見捨てさせることはできなかった。 (武田中・高教諭=東広島市)
(2024年6月6日朝刊掲載)
ガザでの夏、友達とビーチで相撲をして楽しい時間を過ごした。英語指導助手として以前に赴任した日本で覚えた。
砂浜に円を描き、塩のつもりで砂を空中にまき、しゃがんで四股を踏む。異国情緒あふれるパフォーマンスは、多くのパレスチナ人に大うけだった。
ガザで最初に親しくなった友人とは、何度、相撲をとったことだろう。彼といつも一緒にいたのが弟のマフムードだ。当時14歳で、私と組み合う兄の窮地に大喜びしながらも、最後は仲間と一緒に私を土俵の外に押しやった。
時を経て、マフムードは「国境なき医師団」で働く医師になった。そのドクター・マフムードは、「患者を見捨てることはできない」とガザ北部からの避難を拒否し、他の2人の医師とともに昨年11月、イスラエル軍に殺された。最後にこんなメッセージを残したという。「世界は私たちを見捨てないという希望を持っている」
軍事力世界一の米国に支えられたイスラエルの最も先進的な軍隊でさえ、マフムードに故郷や彼を頼りとする人々を見捨てさせることはできなかった。 (武田中・高教諭=東広島市)
(2024年6月6日朝刊掲載)