ハワイの被爆2世 原爆資料館を見学 亡き父の体験記 近く書籍化
24年6月8日
米ハワイ州ホノルル市の日系人で被爆2世のステファン・ミワさん(60)が7日、広島市中区の原爆資料館を見学した。昨年、91歳で亡くなった父ラリーさんの被爆体験記を近く書籍化し、同館に寄贈する。
ミワさんは妻キャリーさん(59)と資料館を訪問。石田芳文館長の案内で被爆前後の広島の街並みの写真や被爆者の遺品を見て回った。被爆死した子どもの三輪車や焼け焦げた弁当箱の前では、目に涙を浮かべて説明に聞き入っていた。
ハワイ生まれのラリーさんは2歳の時に、先祖ゆかりの広島市に移住。14歳の時に市外の動員先から現在のJR横川駅(西区)近くの自宅に戻り入市被爆した。ミワさんは見学後に「父が暮らし、美しかった広島の街が一瞬で破壊される様子が印象的だった」と話し、被爆の惨禍に思いをはせた。
被爆体験記は約200ページ。1945年7月から9月にかけてのラリーさんの日記などを英訳付きで載せた。7月ごろ自費で出版し、原爆資料館に約500部贈る。売り上げは全て核兵器廃絶に取り組む団体へ寄付する。
ミワさんはラリーさんの名前を冠した平和財団の活動の一環で広島を訪れた。14日まで滞在し、松井一実市長との面会などを予定する。(野平慧一)
(2024年6月8日朝刊掲載)
ミワさんは妻キャリーさん(59)と資料館を訪問。石田芳文館長の案内で被爆前後の広島の街並みの写真や被爆者の遺品を見て回った。被爆死した子どもの三輪車や焼け焦げた弁当箱の前では、目に涙を浮かべて説明に聞き入っていた。
ハワイ生まれのラリーさんは2歳の時に、先祖ゆかりの広島市に移住。14歳の時に市外の動員先から現在のJR横川駅(西区)近くの自宅に戻り入市被爆した。ミワさんは見学後に「父が暮らし、美しかった広島の街が一瞬で破壊される様子が印象的だった」と話し、被爆の惨禍に思いをはせた。
被爆体験記は約200ページ。1945年7月から9月にかけてのラリーさんの日記などを英訳付きで載せた。7月ごろ自費で出版し、原爆資料館に約500部贈る。売り上げは全て核兵器廃絶に取り組む団体へ寄付する。
ミワさんはラリーさんの名前を冠した平和財団の活動の一環で広島を訪れた。14日まで滞在し、松井一実市長との面会などを予定する。(野平慧一)
(2024年6月8日朝刊掲載)