創作の扉 中国短編文学賞受賞者に聞く <下> 優秀賞「コバルトブルーの空」の武谷田鶴子さん(95)=広島市
24年6月8日
原爆への憤り 一度沈殿させ
「コバルトブルーの空」で最高齢の入賞を果たした武谷田鶴子さん(95)=広島市東区=は、16歳の時に原爆に遭った実体験を、幻想的な文学作品に昇華させた。「断章詩のよう」と評した選者の高樹のぶ子さん(78)は、「美しく、鮮やかな悲劇性が感じられた。95歳で何かを書いて伝えたい、というパッションがすごい」と脱帽する。
物語は、79年前と現代のヒロシマを交差させながら、原爆で心身をむしばまれた女子学生2人と男子学生の三角関係を軸に展開。初々しく生々しい性の描写や、随所にちりばめられた「パタン、パタン」「ビリビリ」といったオノマトペが、妖しくも美しい物語世界に読者を誘い、原爆の非人道性を印象付ける。
昨年5月、広島で開かれた先進7カ国首脳会議(G7サミット)で、「被爆者が軽く扱われた」ことに憤り、執筆を決意。だが、実際に書き始めたのは今年1月に入ってからだった。「怒りを沈殿させ、浮かび上がってくるものを書かないと、文章にならない。読む方も心地よくない」
物語の終盤、登場人物たちは突然、時空を超えたかのように現代の原爆資料館に現れ、「G7のお偉方、酷(ひど)い被爆者の写真をなぜ観(み)なかった」と訴える。武谷さんは「79年前も今も同じ。つながっているのよ。みんなにそのことを感じてほしかった」と創作に込めた思いを語る。
1945年8月6日、女学生だった武谷さんは吉島本町(現中区)の自宅を出て動員先へ向かう途中、爆心地から約1・5キロの千田町付近で被爆した。頰や手、腕に大やけどを負い、約7カ月間寝たきりだった。周囲の言葉に傷つき、「自殺を考えたこともある」と振り返る。
55年から約1年間、ケロイド治療のため米国に滞在。人々の温かい心に触れたことが、前を向くきっかけとなった。帰国後しばらくして結婚。生活が落ち着いた30代から小説を書き始め、これまで被爆や渡米治療の体験を基に4冊を自費出版した。「小説にすることで、客観的に体験を書くことができる」
中国短編文学賞へは前身の「新人登壇文芸作品懸賞募集」から、応募を重ねてきた。最終選考に残った経験は5回を数える。初入賞を「ふわふわした気持ち」と喜びつつも、「核兵器は絶対になくさないといけない。核廃絶と平和を訴えて、これからも書き続ける」と言い切る。(桑島美帆)
記念座談会 選者・高樹のぶ子さんに質問
Q 先生が「光抱く友よ」(1984年)でデビューした時からファンです。冒頭のフレーズが印象に残っていますが、先生はいかがですか?
A 長年読んでくださっている貴重なファンにお会いできて感動しました。私はそのフレーズを忘れているけれど、作品は自分とは切り離されて、一つの種のように読者の中に残っていくんですね。
ストーリーを忘れても「あの場面だけは思い出せる」という、文学には絵画の一景のような力がある。武谷さんの作品の場合は「青い空」。人間は忘れる生きものだから。とても印象的なシーンがあることは財産になっていく。
Q 純文学の世界で「性」はどこまで描けるのでしょうか。
A 何を書いてもいいんですよ。ただ伝わるかどうか。性は人間の大きな要素だけれど、自分の経験値でしか描けない。身体性を持って伝わらないと、暴露的な描写に見えてしまう。
時代に沿って性の認識は変わってきた。半世紀前、私たちが20代の頃は、恋愛対象との性は大きな喜びがあり、逆に愛情を抱けない人との性は苦痛だった。だけど今の若い人たちは、それほど性に大きな意味を持たなくなった。「伝わる人に伝わればいい。みんなを説得することはできない」というスタンスで扱えばいいと思います。
(2024年6月8日朝刊掲載)