緑地帯 アシュリ・サウザー ガザに思いを寄せて⑤
24年6月11日
米国人はケチャップが大好きで、私も例外ではない。何にでもケチャップをかける。ケチャップの上にもケチャップをかける。かけ過ぎは健康に良くないことも分かっている。
1980年代初頭、米政府がケチャップを「野菜」と宣言した時期がある。軍事予算が拡大する中、学校給食への支出を削減する必要があった。給食の栄養基準が求める野菜の必要量を満たす代わりに、ケチャップなどの調味料を野菜として数えることにしたのだ。
子どもたちが野菜を取ることよりも兵器の方が大事だと認める代わりに、野菜という言葉の意味を変えた。私たちは今、「平和」について同じことをしているように思う。例えば、軍事同盟の強化を「平和」と説く政府を黙認してしまってはいないか。今、パレスチナ自治区ガザで起きていることをやめさせるのが、平和の意味に他ならないはずなのに。
平和は誰もが大切だと言う。しかし、本当の平和の追求は犠牲を伴い、政治的、経済的な目標の追求とはしばしば両立しない。そこで、核の傘、攻撃的な軍事同盟、大規模な人権侵害への曖昧な態度と「平和」を両立させるため、権力者は言葉の意味を変えてしまうのだ。
日本でも、日米同盟の強化へ一辺倒な政権が「積極的平和主義」を唱えてきた。しかし、それは沖縄の基地負担を増やしても、ガザの平和や、核廃絶に寄与するとは思えない。ケチャップを野菜と言うようなものだ。(武田中・高教諭=東広島市)
(2024年6月11日朝刊掲載)
1980年代初頭、米政府がケチャップを「野菜」と宣言した時期がある。軍事予算が拡大する中、学校給食への支出を削減する必要があった。給食の栄養基準が求める野菜の必要量を満たす代わりに、ケチャップなどの調味料を野菜として数えることにしたのだ。
子どもたちが野菜を取ることよりも兵器の方が大事だと認める代わりに、野菜という言葉の意味を変えた。私たちは今、「平和」について同じことをしているように思う。例えば、軍事同盟の強化を「平和」と説く政府を黙認してしまってはいないか。今、パレスチナ自治区ガザで起きていることをやめさせるのが、平和の意味に他ならないはずなのに。
平和は誰もが大切だと言う。しかし、本当の平和の追求は犠牲を伴い、政治的、経済的な目標の追求とはしばしば両立しない。そこで、核の傘、攻撃的な軍事同盟、大規模な人権侵害への曖昧な態度と「平和」を両立させるため、権力者は言葉の意味を変えてしまうのだ。
日本でも、日米同盟の強化へ一辺倒な政権が「積極的平和主義」を唱えてきた。しかし、それは沖縄の基地負担を増やしても、ガザの平和や、核廃絶に寄与するとは思えない。ケチャップを野菜と言うようなものだ。(武田中・高教諭=東広島市)
(2024年6月11日朝刊掲載)