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経済学者の暉峻淑子さん新著 「承認」から見る現代社会 根本から問い 声上げよう

 経済学者でベストセラー「豊かさとは何か」(1989年)の著者としても知られる暉峻淑子さん(96)=東京=は、新著「承認をひらく 新・人権宣言」(写真・岩波書店)で現代社会の民主主義や人権を問う。「承認」をキーワードに世の中を見ていくと「さまざまにゆがんだ社会像が浮かび上がる」のだという。戦禍がやまぬ世界や昨今の被爆地広島の姿はどう見えるのだろう。(森田裕美)

 「承認」という言葉は日常になじみが薄いかもしれない。ネットなどでは「若者の承認欲求」といった否定的意味合いで使われがちだ。だが暉峻さんは「私たちの生活と社会を大きく左右する言葉。日常にこそ承認を巡る深刻な問題が横たわっている」と説明する。

 「社会の中で生きている人間が、他人や社会の承認を求めるのは当然で否定すべきではありません。人と人が関わるには相手の存在を承認するのが出発点。それを抜きに個人の尊厳や民主主義は語れないと気づいた」

 暉峻さんを執筆に駆り立てるのはいつも「社会にひずみが生じて悲鳴が聞こえ私の心が共振するとき」なのだそうだ。

 例えば「豊かさとは何か」を世に問うたのはバブル絶頂期。働き方や消費社会の問題が噴出していた。民主主義の根本である対話の意義を説いた「対話する社会へ」(2017年)の時は、生産性や効率ばかり求められ「対話を放逐する社会」に恐怖を覚えていた。

 そして今回。森友学園を巡る公文書改ざん問題に代表される「権力による恣意(しい)的な承認によって民主主義が根腐れしていることへ危機感」があったという。

 さらに執筆中、ロシアがウクライナに侵攻して戦争に。核をちらつかせて威嚇する大国を目の当たりにし、ここでも「承認」を強く意識した。

 戦中に子ども時代を過ごした暉峻さんは「国家が戦争に突入すると勝つための価値が『社会の承認基準』になり個人の命や尊厳が奪われるのが当たり前になる」と指摘。その上で「人権や公正という普遍的な価値を承認基準に据えるのを忘れてはいけない」と訴える。

 執筆に「全エネルギーを傾けた」という新著では、身近な事例を挙げながら「承認」の意義を論証する。森友学園問題をはじめ各地の裁判で「違法」と判断された厚生労働省による生活保護基準引き下げなどを例に権力による「誤った承認」も論じる。「承認は語義の通りその事柄が真実で公正で妥当性があると認める行為。権力者が承認しさえすれば、どんなことも許されるような社会であってはならない」

 最近では、広島市の平和記念公園と米ハワイのパールハーバー国立記念公園の姉妹公園協定や、松井一実市長が職員研修で戦前の教育勅語を引用しているニュースを知って驚いたという。「それがどんな意味を持つのか、私たちは根本を考える癖を付ける必要があります」。「教育勅語」に代表される戦前の日本の教育がどれだけの人々を苦しめたか、協定が米国の原爆投下の責任をうやむやにするなら現在の民間人殺りくを許すことにつながるのではないか―。市民社会が根本から問い、声を上げる必要性を語る。

 暉峻さんは2010年から地元練馬で「対話的研究会」を続けている。老若男女が、地域課題や政治など多様なテーマを自由に持ち寄り意見を交わす。「駅の数ほどできれば民主主義の足腰が強くなる」。会は今、都内外数カ所に広がる。

 「大事なのは、おかしいことに気づく感受性とおかしいと正論が言える正気。それは一人一人が自分の承認基準を問うことでもある」と暉峻さん。新著に込めたのは「社会参加のない民主主義はないというメッセージでもある」と話す。

てるおか・いつこ
 大阪市生まれ。埼玉大名誉教授。日本女子大教授、ベルリン自由大とウィーン大の客員教授も務めた。NPO法人「国際市民ネットワーク」代表として旧ユーゴスラビア難民の支援活動などを続けてきた。「対話的研究会」主宰

(2024年6月11日朝刊掲載)

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