[知っとる? ヒロシマ調べ隊] 放射能を帯びた土ぼこり・すす
24年6月11日
〈泥の跳ねのようなもの〉〈黒い夕立〉―。井伏鱒二著「黒い雨」で、主人公のめい矢須子は、被爆直後に降った雨を、そう表現しています。
当時の状況について1971年刊の「広島原爆戦災誌」は、次のように記します。〈被爆当日は、終日、巨大な塔状の積乱雲が発達〉〈午前九時から午後四時ごろの間にわたって「驟雨(しゅうう)現象」を起した〉
黒い雨を降らせた雲の発生源は、大きく三つ考えられています。一つは火球から生まれた雲。原爆が地上約600メートルでさく裂後、高熱の火球となり膨らんで上昇、徐々に冷やされ、きのこ雲となりました。
また、地上に届いた衝撃波は土ぼこりなどを上空に巻き上げ、ちりによる雲を生じさせました。さらに、爆心地から約2キロ以内を全焼させた火災でも雲が発生しました。
これらの雲には広島原爆の原料ウランの分裂でできたセシウムのほか放射能を帯びた土ぼこりやすすなどが含まれていました。そのため黒く、場所によっては泥のような雨が降ったのです。
雨を浴びた人は健康被害を訴えてきましたが、「残留放射線による被曝(ひばく)は十分研究されず、健康影響は軽視されてきた」と、長年後障害研究に取り組む鎌田七男・広島大名誉教授は話します。
鎌田さんが原爆養護ホームの園長だった時に出会った女性は80代で四つのがんを発症しました。原爆が投下された当時爆心地から約4・1キロ離れた高須地域(現西区)に住んでいましたが、2週間ほど自宅周辺の野菜や水を摂取していました。保管されていたがん組織を調べると、ウラン由来の放射性物質に起因するα線かβ線の痕跡が見つかったそうです。内部被曝の影響が考えられます。
原爆がいかに広範に、長きにわたって人々を苦しめるか。黒い雨からもうかがい知ることができます。(森田裕美)
(2024年6月11日朝刊掲載)