[歩く 聞く 考える] 川柳の力とは 人や社会に注ぐ愛のまなざし 全日本川柳協会理事長 小島蘭幸さん
24年6月12日
人生や日々の出来事のおかしみと悲哀を五七五の十七音で詠む川柳は、多くの人に親しまれている。鋭い社会批判ゆえに作家が弾圧された歴史もあるが、人間や社会をみつめて泣き、笑い、批判する文芸であるのは変わらない。全日本川柳2024年大会が16日に広島市で開かれる。竹原市で川柳作家として活動し、全日本川柳協会の理事長も務める小島蘭幸さん(76)に川柳の力について聞いた。(論説委員・田原直樹、写真も)
―江戸時代から長く親しまれている文芸です。
面白くて親しみやすい―。時代が移ろうとも、変わらぬ魅力を持っています。十七音という短さでも、表現の幅は無限だと思います。
―句会に入り、研さんする人も多いのですか。
いいえ。以前は多かったのですが、今はどの結社も入会者が減ってほそぼそやっている感じです。広島県には小さいところを含め約30の会があると思いますが、県川柳協会に所属する結社は20前後です。
でも今、川柳愛好者はむしろ増えているでしょう。
―なぜそう思うのですか。
新聞や雑誌に昔から投稿欄があり、テレビやラジオも募集している。以前のサラリーマン川柳などが人気を集め、今ではいろんな企業がコンテストを開催していますから。
裾野が広がってはきても、作品を応募するような人でも句会には入らず、自分だけで楽しんでいる人が多い。
―誰でも気軽に作れるのが魅力の文芸なのでしょうね。
確かにその通り。でも、もう一段上を目指すなら句会に入ることです。仲間と競い、学び合う。さらに大会などで優れた句に触れていると感性や表現力が磨かれます。
私も竹原川柳会に入った当初、よくできたと思った句が山内静水会長には評価されませんでした。言いたいことを全て詰め込んでは駄目だと。読む人に想像させるのが大事と学びました。いい句には広がりや深みがあるものです。
―始められて60年。どんな作風を追求していますか。
作り方や題材は人それぞれですが、身の回りの出来事や日々の気付きを素直に詠むように、私は心がけています。生活の中での実感句です。例えば「嫁がせた五月のままのカレンダー」。結婚後に初めて妻の実家を訪れて詠んだ句です。句集をたどると、そのまま自分史ですよ。
―くすっと笑える句が話題となる一方で、政治や社会を鋭く斬った川柳もあります。
日本が戦争に向かった時代に、鶴彬(つるあきら)という作家は軍部を批判する句を作り、弾圧されて獄中死しました。鶴の批判精神を受け継ぎ、「権力者を嗤(わら)いとばす川柳」を重んじる作家や結社は今もあります。川柳の大事な部分です。
実感句の多い私などはそういう作家から「やさし過ぎて駄目だ」と𠮟られもします。しかし多様なのが川柳。社会批判は大事だし、笑える句や生活の実感句もあっていい。
―今の通称「サラ川」はニュースにもなります。
共感させられる作品もたくさんあり、すごいなと思わされます。でも中には、ただの駄じゃれであって、川柳と呼べないのもあります。笑っておしまい、といった感じの句です。笑える作品は結構なのですが、深いところに「愛」がなくては川柳にならない。
―人間そのものや営みへのまなざしですね。東日本大震災の被災者を元気づけるツールとしても注目されました。
川柳が持つ力や深いところにある愛が人を笑わせ、勇気づけもしたのでしょうか。
阪神大震災の時には岡山市出身の作家、時実新子さんの作品が注目されました。迫力のある川柳が出来事の衝撃を伝え、共感を集めたのです。
―人や社会を動かす力や可能性を川柳に感じます。
作った句が社会を大きく動かすのは難しいでしょうが、傷ついた人を励ましたり、笑顔にしたりすることはできます。川柳が力を発揮する場面はいろいろあると思います。
16日に開く全国大会は見学無料。ぜひ川柳の今を知ってほしい。川柳を作ったり触れたりしていると、身の回りや社会を見る目、力が備わり人生が豊かになりますよ。
こじま・らんこう
本名和幸(かずゆき)。竹原市生まれ。竹原高安芸津分校醸造科卒。藤井酒造を経て竹原郵便局勤務。15歳の時、山内静水さんが会長だった竹原川柳会に入る。大阪の「川柳塔社」にも所属し、19歳で同人、2010年主幹。広島県川柳協会会長。17年から一般社団法人全日本川柳協会理事長。句集に「再会Ⅱ」など。全日本川柳大会は16日、広島市中区のJMSアステールプラザ。
(2024年6月12日朝刊掲載)
―江戸時代から長く親しまれている文芸です。
面白くて親しみやすい―。時代が移ろうとも、変わらぬ魅力を持っています。十七音という短さでも、表現の幅は無限だと思います。
―句会に入り、研さんする人も多いのですか。
いいえ。以前は多かったのですが、今はどの結社も入会者が減ってほそぼそやっている感じです。広島県には小さいところを含め約30の会があると思いますが、県川柳協会に所属する結社は20前後です。
でも今、川柳愛好者はむしろ増えているでしょう。
―なぜそう思うのですか。
新聞や雑誌に昔から投稿欄があり、テレビやラジオも募集している。以前のサラリーマン川柳などが人気を集め、今ではいろんな企業がコンテストを開催していますから。
裾野が広がってはきても、作品を応募するような人でも句会には入らず、自分だけで楽しんでいる人が多い。
―誰でも気軽に作れるのが魅力の文芸なのでしょうね。
確かにその通り。でも、もう一段上を目指すなら句会に入ることです。仲間と競い、学び合う。さらに大会などで優れた句に触れていると感性や表現力が磨かれます。
私も竹原川柳会に入った当初、よくできたと思った句が山内静水会長には評価されませんでした。言いたいことを全て詰め込んでは駄目だと。読む人に想像させるのが大事と学びました。いい句には広がりや深みがあるものです。
―始められて60年。どんな作風を追求していますか。
作り方や題材は人それぞれですが、身の回りの出来事や日々の気付きを素直に詠むように、私は心がけています。生活の中での実感句です。例えば「嫁がせた五月のままのカレンダー」。結婚後に初めて妻の実家を訪れて詠んだ句です。句集をたどると、そのまま自分史ですよ。
―くすっと笑える句が話題となる一方で、政治や社会を鋭く斬った川柳もあります。
日本が戦争に向かった時代に、鶴彬(つるあきら)という作家は軍部を批判する句を作り、弾圧されて獄中死しました。鶴の批判精神を受け継ぎ、「権力者を嗤(わら)いとばす川柳」を重んじる作家や結社は今もあります。川柳の大事な部分です。
実感句の多い私などはそういう作家から「やさし過ぎて駄目だ」と𠮟られもします。しかし多様なのが川柳。社会批判は大事だし、笑える句や生活の実感句もあっていい。
―今の通称「サラ川」はニュースにもなります。
共感させられる作品もたくさんあり、すごいなと思わされます。でも中には、ただの駄じゃれであって、川柳と呼べないのもあります。笑っておしまい、といった感じの句です。笑える作品は結構なのですが、深いところに「愛」がなくては川柳にならない。
―人間そのものや営みへのまなざしですね。東日本大震災の被災者を元気づけるツールとしても注目されました。
川柳が持つ力や深いところにある愛が人を笑わせ、勇気づけもしたのでしょうか。
阪神大震災の時には岡山市出身の作家、時実新子さんの作品が注目されました。迫力のある川柳が出来事の衝撃を伝え、共感を集めたのです。
―人や社会を動かす力や可能性を川柳に感じます。
作った句が社会を大きく動かすのは難しいでしょうが、傷ついた人を励ましたり、笑顔にしたりすることはできます。川柳が力を発揮する場面はいろいろあると思います。
16日に開く全国大会は見学無料。ぜひ川柳の今を知ってほしい。川柳を作ったり触れたりしていると、身の回りや社会を見る目、力が備わり人生が豊かになりますよ。
こじま・らんこう
本名和幸(かずゆき)。竹原市生まれ。竹原高安芸津分校醸造科卒。藤井酒造を経て竹原郵便局勤務。15歳の時、山内静水さんが会長だった竹原川柳会に入る。大阪の「川柳塔社」にも所属し、19歳で同人、2010年主幹。広島県川柳協会会長。17年から一般社団法人全日本川柳協会理事長。句集に「再会Ⅱ」など。全日本川柳大会は16日、広島市中区のJMSアステールプラザ。
(2024年6月12日朝刊掲載)