×

社説・コラム

[ひと まち] 大病の先に 奏でた音色

 ロビーを埋める数百人の拍手に包まれ、オルガン奏者の吉田仁美さん(64)=広島市佐伯区=から笑みがこぼれた。ホテル広島サンプラザ(西区)で開催してきたパイプオルガンの無料コンサート。2度の大病を乗り越えて、今年春に20年の節目を迎えた。

 2003年、被爆者男性から寄贈されたパイプオルガンがサンプラザに置かれたと聞いた。「平和への願いを受け継ぎたい」と思い立ち、演奏を申し出た。最初は演奏仲間とともに「毎回が手探りでした」。わずか数人だった観客は徐々に増え、「リピーター」も得ていった。

 だが5年を数えた頃、演奏に打ち込む日々は一変する。ある日の演奏中、猛烈な頭痛と手足のしびれに襲われた。必死で弾き終え、舞台袖に倒れ込んだ。くも膜下出血。約1カ月間、病室で寝たきりになった。

 パイプオルガンは、四肢を同時に動かし、手足で鍵盤を弾く楽器。指先の繊細さと体力の両方が必要だ。命は助かっても、まひが残ったら―。家族の支えでリハビリをこなし、不安の淵からの復帰を果たした。

 ところが4年前、再び試練を強いられる。今度は脳腫瘍だった。衝撃を受けながらも、「早期発見だと前向きに捉えるしかない」。開頭手術の翌月には、再び鍵盤に触れていた。「楽しみに待ってくれる人がいる限り、音色を届けたい」との一心で。手術のためそった頭にかつらをかぶり、演奏会に出たこともある。

 つらい時、高校3年だったあの日を思って初心に返る。エリザベト音楽大(中区)の受験生向け講習会で、パイプオルガンの生演奏を初めて聴いた。ピアノ志望だったが、紡ぎ出される音色の多彩さにすっかり心を奪われた。留学と同大大学院修士課程を経て、30歳から演奏活動を本格始動した。

 全国に約1100台あるというパイプオルガン。多くは教会や学校に置かれ、市民が音色に直接触れる機会は限られる。だからこそ「誰もが行き交う場で生演奏を聴いてもらえる環境を守りたい」。サンプラザでの無料演奏に込める思いだ。

 昨年、家族で来場した小学生から手紙をもらった。「おとなになったらパイプオルガンをひきたい」。観客との間に生まれた絆を実感。喜びをかみしめた。

 次回の演奏は今月23日午前11時から。観客の笑顔を糧に、再起の音色を人々の心に届けていく。(新山京子)

(2024年6月7日朝刊掲載)

年別アーカイブ