『生きて』 カメラマン 三浦憲治さん(1949年~) <6> 海外ミュージシャン
24年6月13日
聴いていたから撮れる
≪1971年、英国のロックバンド、レッド・ツェッペリンの来日公演を撮影することになった≫
師匠の長浜治さんに「明日、武道館にツェッペリンを撮りに行け」と言われて「やったー」と喜んだ。初めての海外ミュージシャン。でも本当は撮ることよりも、バンドを目の前で見られることがうれしかった。
当日はカメラ1台、レンズ1本しか持って行かず、36枚フィルムで4、5本しか撮っていない。とにかく写真を撮っている時間がもったいなかった。カメラマンというだけで客席の前に行けるし動き回れる。「これがプロなんだ」と感動した。でも一番驚いたのはライブの音。レコードとは全く違う音量と迫力は想像をはるかに超えていた。
≪同年にはピンク・フロイド、73年にはシカゴ、74年にはエリック・クラプトン、サンタナ、76年にはクイーンと有名な海外ミュージシャンの撮影が続く。シカゴは広島公演もあり、一緒に空路で広島へ向かった≫
ソニーレコードの宣伝の人と知り合って一時期、集中して海外ミュージシャンを撮った。その写真を見たワーナー・レコードの人からも依頼が来るようになった。「ミュージック・ライフ」などの雑誌から得た情報を基に、東京・青山にあったレコード店で新しいレコードを買った。手取りの3割はレコードに費やしていたと思う。
でもこれが、のちのち仕事に大いに役立った。ライブを撮影しながら「あ、あの曲だ」「この後、ドラムソロがあるな」とカメラを向けられる。来日ミュージシャンの曲はほとんど聴いていたと言っても過言じゃない。そのうち「三浦憲治ならこの外国人グループを知っているだろう」と話が来るようになった。
助手の仕事は充実していた。でもそろそろ独立したい。やめる口実として「ニューヨークへ写真を撮りに行きます」と申し出た。でも、すぐに帰ってくることになったんだよね。
(2024年6月13日朝刊掲載)