[ひと まち] 「100歳」 接客が元気の源
24年6月14日
広島、岡山の県境にある「渡辺ストアー」(福山市神辺町)には、今月100歳を迎える看板店員がいる。レジ打ちや接客、客の見送りもこなす渡辺道子さん。戦後の食糧難や災害を乗り越え、息子夫婦や孫と3世代で店を営む。「店に出ると自然と体が動く。お客さんと楽しくしゃべると元気が出る」とにっこり笑う。
食料品や生活用品が並ぶ店内で、常連客との世間話に花が咲く。「久しぶり。どうしよおた?」「今日は天気がええね」。近くの岡本キクエさん(86)は「しばらく顔を見ないと気になって。この人とおしゃべりしに店に来るの」と渡辺さんの手を取る。
店の前身は、渡辺さんの両親が自宅の一角で営んでいた駄菓子店。渡辺さんは小学1年の頃から、あめ作りやかき氷の販売を手伝ってきた。やがて戦争が始まり、砂糖は配給制に。「戦後すぐはとにかく売るものがなかった。申し訳ないから、束ねた芋づるをお客さんに持って帰ってもらっていた」と振り返る。
22歳の時、復員した婚約者の安太さん(2012年に88歳で死去)と結婚した。3人の子どもを育て上げ、家業を続けていた1970年ごろ、裏山の土砂崩れで店が大きく損壊。だが看板を下ろすことは考えなかった。数少ない地域の店として何とか続けたい。その一心だった。
食料品を扱う小さなスーパーとして再建。長男の託巳さん(77)夫妻が飲食店や学校給食用の食料品の配達を始めるなど事業を拡大し、元日を除いて家族で働き続けた。現在は孫の昭佳さん(51)が代表を務め、葬儀用や贈答用の果物の販売に力を入れる。
渡辺さんは今年に入ってレジ打ちや接客の回数を減らし、5月下旬からは週1回、通所介護(デイサービス)に通う。向かいの家で過ごす時間も増えたが、仕事をしない日もふらっと出てきては客との会話を楽しみ、笑顔で見送る。
「いいことも悪いこともあったけど、店で忙しくするのが私にとって自然なこと。まだまだ走れるよ」。大正に生まれ、昭和から令和まで店に立ち続ける渡辺さん。17日、100回目の誕生日を迎える。(原未緒)
(2024年6月14日朝刊掲載)
食料品や生活用品が並ぶ店内で、常連客との世間話に花が咲く。「久しぶり。どうしよおた?」「今日は天気がええね」。近くの岡本キクエさん(86)は「しばらく顔を見ないと気になって。この人とおしゃべりしに店に来るの」と渡辺さんの手を取る。
店の前身は、渡辺さんの両親が自宅の一角で営んでいた駄菓子店。渡辺さんは小学1年の頃から、あめ作りやかき氷の販売を手伝ってきた。やがて戦争が始まり、砂糖は配給制に。「戦後すぐはとにかく売るものがなかった。申し訳ないから、束ねた芋づるをお客さんに持って帰ってもらっていた」と振り返る。
22歳の時、復員した婚約者の安太さん(2012年に88歳で死去)と結婚した。3人の子どもを育て上げ、家業を続けていた1970年ごろ、裏山の土砂崩れで店が大きく損壊。だが看板を下ろすことは考えなかった。数少ない地域の店として何とか続けたい。その一心だった。
食料品を扱う小さなスーパーとして再建。長男の託巳さん(77)夫妻が飲食店や学校給食用の食料品の配達を始めるなど事業を拡大し、元日を除いて家族で働き続けた。現在は孫の昭佳さん(51)が代表を務め、葬儀用や贈答用の果物の販売に力を入れる。
渡辺さんは今年に入ってレジ打ちや接客の回数を減らし、5月下旬からは週1回、通所介護(デイサービス)に通う。向かいの家で過ごす時間も増えたが、仕事をしない日もふらっと出てきては客との会話を楽しみ、笑顔で見送る。
「いいことも悪いこともあったけど、店で忙しくするのが私にとって自然なこと。まだまだ走れるよ」。大正に生まれ、昭和から令和まで店に立ち続ける渡辺さん。17日、100回目の誕生日を迎える。(原未緒)
(2024年6月14日朝刊掲載)