[決別 金権政治] 受領証言の小川和久氏 一問一答 普天間巡り機密費
24年6月17日
新札で100万円「ご自由に」/餌まく感じ
小渕内閣で官房長官だった野中広務氏から内閣官房報償費(機密費)を受け取ったと公言している軍事アナリスト小川和久氏が中国新聞の取材に答え、内部チェックがなく支払われる機密費の実態を明かした。主なやりとりは次の通り。
―1999年7月に国の沖縄振興開発審議会の専門委員に就きました。機密費を受け取った経緯は。
同月16日に事務所に外務省の職員が来て「野中先生が『お渡ししてほしい』というものがある」と言って封筒を出した。中を見たら現金が入っていて、1万円が新札で100枚、帯封なしで入っていた。「受け取りの書類は」と聞くと「必要ない」と言われた。「精算は」と聞くと「それも必要ありません」と。「領収書は」と聞くと「要りません。ご自由にお使いください」と言われた。
―どういう目的で渡されたのでしょうか。
野中氏から米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題を解決するよう指示を受けていた。7月下旬に審議会の専門委員の立場で沖縄県内を調査で巡ることになっていた。その出張旅費と会合費だった。
―使い切りましたか。
調査は4、5日だった。同行してくれたジャーナリストが旅費や宿泊費を受け取らなかったこともあり、かなり残った。その後も週1回は沖縄へ往復していた。その交通費などに使った。
―100万円を持参した職員は「機密費です」と言っていましたか。
そういうのは言わない。言わなくても分かるから。機密費以外は考えられない。(機密費以外の予算から)出張旅費を出すのだったら、書類が必要だから。
―機密費でなければ、領収書が要りますね。
そうだ。
―2回目の機密費は。
野中さんと個別にホテルの部屋で会っている時に「必要経費がもう足りなくなっているだろう」と言われて、50万円を新札で渡された。
―機密費の実態はベールに包まれています。実際に受け取って、どう感じましたか。
融通無碍(むげ)と言えば聞こえはいいが、ずさんを極めている。だれかが一部を懐に入れることがあってもおかしくないくらいだ。だから僕は野中さんに「情報開示は30年後でも50年後でも法律で決めて行えばいいと思うが、精算だけは直ちに領収書付きで行う形にし、厳格に監査しなければならない」「このような扱いでは犯罪や汚職の温床になりかねない」と言った。野中さんはうなずいていた。
―こうした経緯を自著「フテンマ戦記」に詳しく書かれています。沖縄県議のことも記していました。
野中さんは官房長官で東京を離れるのが難しいため、99年8月18日に沖縄から県議を東京に呼んでいた。 「小川も普天間の担当だから出てこい」と言われ一緒に行った。
会場の料亭には4、5人の県議が来ていた。会食は2時間ぐらい。普天間だけでなく、沖縄の振興、発展のための考えを聞かせてもらう場だった。お土産の手提げ袋が各県議の後ろに置いてあったが、そこに秘書官が白い封筒を1個ずつ入れていくのが見えた。
会合後、野中さんに「いくらだったんですか」と聞くと、「50万円ずつ」と言われた。「国のために時間を割いて沖縄から出てきてくれているのに、お土産ぐらい買って帰ってもらわないと申し訳ないじゃないか」と言った。野中さんは(情報を得るための)餌として機密費をまいている感じがあった。お金をまいておけば必ず情報を持ってくる。
―機密費の必要性をどう思いますか。
表に出せない金は企業にもある。国だって、同じような性格の金はどうしても必要になる。しかし公開を原則としなければならない。政界などを巡る情報収集や工作に使った場合、相手の事情もあるので、内容によって10年後、20年後、30年後などと公開の時期を法律で定める必要がある。
おがわ・かずひさ
週刊誌記者などを経て軍事アナリストとして独立。総務省消防庁消防審議会委員、内閣官房危機管理研究会主査なども歴任し、政府の政策立案にも関わった。2012年4月から静岡県立大の特任教授。
(2024年6月17日朝刊掲載)