ジュノー博士の功績たたえる 命日 中区で記念祭 「核兵器放棄」継承誓う
24年6月17日
被爆直後の広島に大量の医薬品を届け、治療にも尽力したスイス人医師マルセル・ジュノー博士(1904~61年)の功績をたたえる記念祭が16日、広島市中区の平和記念公園南の顕彰碑前であった。県医師会や日本赤十字社県支部などでつくる実行委員会の主催で、約150人が参加した。
県医師会の松村誠会長が「核兵器を放棄すべきだという博士の願いを実現すべく活動を続ける」とあいさつ。ガールスカウトとボーイスカウトの県連盟代表の子ども7人が「平和の誓い」を読み上げた後、参加者が顕彰碑に花を手向けた。「誓い」を読んだノートルダム清心高2年宮成桜子さん(16)=中区=は「博士の功績や精神を語り継ぎ、関心を高めていきたい」と話していた。
赤十字国際委員会駐日首席代表だったジュノー博士は連合国軍総司令部(GHQ)に掛け合い、被爆翌月の広島に計15トンの医薬品を運び込んだ。記念祭は90年から毎年、博士の命日である6月16日ごろ開いている。(水川恭輔)
(2024年6月17日朝刊掲載)
県医師会の松村誠会長が「核兵器を放棄すべきだという博士の願いを実現すべく活動を続ける」とあいさつ。ガールスカウトとボーイスカウトの県連盟代表の子ども7人が「平和の誓い」を読み上げた後、参加者が顕彰碑に花を手向けた。「誓い」を読んだノートルダム清心高2年宮成桜子さん(16)=中区=は「博士の功績や精神を語り継ぎ、関心を高めていきたい」と話していた。
赤十字国際委員会駐日首席代表だったジュノー博士は連合国軍総司令部(GHQ)に掛け合い、被爆翌月の広島に計15トンの医薬品を運び込んだ。記念祭は90年から毎年、博士の命日である6月16日ごろ開いている。(水川恭輔)
(2024年6月17日朝刊掲載)