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連載・特集

『生きて』 カメラマン 三浦憲治さん(1949年~) <7> 健さんと永ちゃん オーラやパワー 別格

 ニューヨークの街を歩いて写真を撮ったが、お金を使い切って1カ月余りで帰国し、また長浜治事務所に居候した。そこにいるとまた仕事をもらえる。だから、いつ独立したのかはっきりしないんだ。

  ≪ある日、高倉健主演の映画「ゴルゴ13」(1973年)のイランロケが舞い込んだ≫

 初めて撮影する日本の大物芸能人。東映と小学館がタイアップで本をつくるから「健さんをメインで撮ってほしい」という依頼だった。健さんの任俠(にんきょう)映画は徹夜で見ていたのでテンションが上がったよ。

 ロケは3週間くらいあり、テヘランからイスファハンというアラビア海の方まで移動しながら撮影した。ファインダー越しに見る健さんはオーラがあり、迫力がすごかった。だから健さんが近づくと俺が後ろに下がってしまう。そのうち健さんに「ちょっと来いよ。お茶でも飲まないか」と声をかけられた。

 ペニンシュラとかいう、当時聞いたこともない香港の高級ホテルの紅茶を飲みながら話をした。緊張し過ぎて何を話したのかは全く覚えていない。「三浦ちゃん、今度は東京で会おうね」と1枚だけツーショットを撮ってもらった。

 ≪75年、同郷の歌手との出会いもあった。広島市出身のロック歌手矢沢永吉さんだ≫

 矢沢さんのバンド「キャロル」の最終公演が日比谷野外音楽堂であり、それを撮ることになったんだ。後日、その写真はLPジャケットに使ってもらった。後に永ちゃんのソロライブを撮るようになった。

 ライブの打ち上げで、永ちゃんから「言葉似てるね。出身はどこ」って聞かれた。「広島です」と答えたら「中学は」って。「段中(段原中)です」って答えた。それを機に定期的にライブを撮らせてもらえるようになった。直近のライブ撮影は3年前。永ちゃんは同い年だけど、若さとパワーが別格。また撮らせてもらいたいなと思う。

(2024年6月15日朝刊掲載)

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