[小山田浩子の本棚掘り] 教育勅語の何が問題か 教育史学会編、岩波ブックレット
24年6月20日
日本国憲法と両立しえない
2017年に政府が出した「憲法や教育基本法に反しないような形で教育に関する勅語を教材として用いることまでは否定されることではない」との見解を受け「教育勅語にかかわる歴史的な事実の概要を学術的な立場から声明として発表する」ために本書は書かれた。教育勅語がどのような内容で、教育や植民地支配の現場でどのように広まり用いられたかを平易な文章で書く。おそらく大多数の市民がさほど意識することなく暮らしてきただろう「教育勅語」とはそもそもなにか。
教育勅語は1890年に出された教育に関する勅語(=天皇の言葉)で、神代から続く皇室が今後も存続し発展するため、臣民(国民)はどうあるべきだと明治天皇が考えているか、が「朕」という一人称で書かれている。現代語訳によると「父母に孝行をつくし」「夫婦は仲むつまじく」「友人は互いに信じあい」等「良いこと」が書いてある。が、それはだから個人や家族の幸福のためではなく国や皇室の存続が目的で、子は親に、臣民は国に尽くす、だとすれば当然臣民は「非常事態のときには大義に勇気をふるって国家につくし、そうして天と地とともに無限に続く皇室の運命を翼賛すべきである」(現代語訳)ということになる。よって「国民主権を理念とする日本国憲法と矛盾することは言うまでもありません」。
第二章「不敬と殉職」に、天災や火災の際、戦時中ほとんどの学校で拝礼対象となっていた教育勅語謄本(印刷)と天皇の肖像写真(焼き増し)を生徒や自身より優先し守ろうとしたため逃げ遅れ子供らを道連れに死亡した学校関係者もいたとある。この話を憤慨し読むことができるのは国民主権を謳(うた)う憲法によって我々が戦後守られてきたからではないか。世界平和を希求すると断言する日本国憲法と両立しえないものをいま、どうしても教材にしたい政治家はなにを願い望んでいるのか。(小説家=広島市)
(2024年6月20日朝刊掲載)