『潮流』 基町の変遷
24年6月20日
■報道センター経済担当部長 小林正明
「懐かしいね」「私の家はここじゃったよ」。高齢の方々と古い写真や地図を眺め、ひとしきり昔話に花を咲かせた。
戦後の街の変遷を伝える基町(広島市中区)の写真展だ。市立大などの「基町プロジェクト」が企画し、住宅地区で30日まで開かれている。ここ数年訪れているが、10回目の今回、住民参加のサロンにも出向いてみた。
というのも、私が基町で生まれ、小5になる1979年春まで過ごしたからだ。県立体育館(現広島グリーンアリーナ)前の借家で暮らし、立ち退きを機に72年、高層アパートへ移った。
会場では、幼い頃に住んでいた所が載った地図を見るのがうれしい。70年代の祭りや運動会などの写真に、自分や年子の弟が写ってないかを探すのも楽しみの一つだ。
記憶がよみがえるとともに、街の様変わりを実感する。ガラス張りで円形の児童図書館やアヒルなどがいた児童公園、市民球場…。子どもだけで遊びに行っていた施設はいずれも、もうない。
同じ町内でも74年にできた百貨店、そごうは特別感があった。行く時は必ず大人と一緒。買い物に付き添ったご褒美が、大食堂と屋上遊園地だった。写真展には「そごう屋上のお祭りで買ったヒナが大きくなった」と、ニワトリを抱える男の子のカットもある。
プロジェクトスタッフで市立大非常勤特任教員の増田純さん(34)は、基町の魅力を「『広島』を端的に知れる場所」と話す。中国新聞社の市広域商圏調査では、基町を含む紙屋町エリアは買い物先として人気が低下傾向にあるが、サッカースタジアムやゲートパークの開業でにぎわいが戻ってきた。昔も今も基町は人が集うのが似合う。
(2024年6月20日朝刊掲載)
「懐かしいね」「私の家はここじゃったよ」。高齢の方々と古い写真や地図を眺め、ひとしきり昔話に花を咲かせた。
戦後の街の変遷を伝える基町(広島市中区)の写真展だ。市立大などの「基町プロジェクト」が企画し、住宅地区で30日まで開かれている。ここ数年訪れているが、10回目の今回、住民参加のサロンにも出向いてみた。
というのも、私が基町で生まれ、小5になる1979年春まで過ごしたからだ。県立体育館(現広島グリーンアリーナ)前の借家で暮らし、立ち退きを機に72年、高層アパートへ移った。
会場では、幼い頃に住んでいた所が載った地図を見るのがうれしい。70年代の祭りや運動会などの写真に、自分や年子の弟が写ってないかを探すのも楽しみの一つだ。
記憶がよみがえるとともに、街の様変わりを実感する。ガラス張りで円形の児童図書館やアヒルなどがいた児童公園、市民球場…。子どもだけで遊びに行っていた施設はいずれも、もうない。
同じ町内でも74年にできた百貨店、そごうは特別感があった。行く時は必ず大人と一緒。買い物に付き添ったご褒美が、大食堂と屋上遊園地だった。写真展には「そごう屋上のお祭りで買ったヒナが大きくなった」と、ニワトリを抱える男の子のカットもある。
プロジェクトスタッフで市立大非常勤特任教員の増田純さん(34)は、基町の魅力を「『広島』を端的に知れる場所」と話す。中国新聞社の市広域商圏調査では、基町を含む紙屋町エリアは買い物先として人気が低下傾向にあるが、サッカースタジアムやゲートパークの開業でにぎわいが戻ってきた。昔も今も基町は人が集うのが似合う。
(2024年6月20日朝刊掲載)