『想』 長谷川紗葵(はせがわさき) はて?
24年6月21日
ブラック化、教員不足に陥っている昨今の教育現場で、私自身「はて?」とのつぶやきが増えてきた。GIGAスクール構想、情報通信技術(ICT)教育、ともすればシャーペンを持つこともなく、ノートに文字を書くこともなく、生徒の顔を見ることもなく授業ができてしまう。しかし、その「効率さ」を求めたアプローチだけで「教育づくり」ができるのだろうか。
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ものすごい勢いで変化する社会の中で今、私たちの「教育観」「生徒観」が試されている。一見、「非効率」に思えることが、生徒に疑問を抱かせ、生徒同士の対話につながり、成長を促す機会となることを卒業生が証明してくれている。
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進徳女子高(広島市南区)で教える私は、「ヒロシマで学ぶ意味」「自立した女性になるためには」を軸とした学びを、生徒たちの最大要求と捉えている。
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「生理の貧困」をクラステーマにし、取り組んだ文化祭。生徒たちは、それが抱える問題の大きさに屈することなく、仲間と共に学びを深め行動した。校内すべてのトイレにナプキンが常備されているのは、彼女たちの学びそのものである。
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そんな「学ぶことが楽しい!」と思うようになった生徒たちと共に平和ゼミナール部を結成した。今は「能登半島地震」からの学びに力を入れている。
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先日、石川県立田鶴浜高の生徒さんたちとのオンライン交流が実現した。学校生活ができるようになったとはいえ、地割れしたままのテニスコート。体育館の一つは、壁が剝がれ落ち、電球がいつ落ちるかもわからない状況であった。にもかかわらず、「この生活に慣れたから、今、困り事はないと私たちに笑って言ったことが、とても苦しかった」とある生徒は言う。表面的なことではなく、そこで暮らす人々を思い、学び、この活動を続けていきたいと。
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生徒たちの視野が広がり、価値観が揺さぶられるような学びの追求。「学校」が子どもたちにとって「希望」を見つけ、生きることを励ます場所であり続けるよう、微力ながらこれからもあがきたい。(進徳女子高教諭)
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(2024年6月21日朝刊セレクト掲載)