喫茶店「房州」 88年で幕 中区千田町 被爆後に再建 復興見守る 「街の看板的なお店」 惜しむ声
24年6月21日
広島市中区千田町で1935年に創業した喫茶店「房州」が30日で88年の歴史に幕を閉じる。被爆して店は焼失したが、翌年には再建。戦後の復興も見守った広島を代表する店の一つだったが、建物の老朽化のため存続を断念したという。店内に併設するフランス菓子店「ポワブリエールたかの橋店」も閉店する。(馬上稔子)
房州は、オーナーの市原董永(まさなが)さん(78)の父、鈴木茂さんと母清子さんがパン店として開店した。原爆投下で爆心地から南約1・3キロの店は焼失したが、翌年には同じ場所で菓子と喫茶の店として営業を再開した。
店舗そばの実家で育った市原さんは「お昼時はサンドイッチやコーヒーを楽しむお客さんで満席だった」と子どもの頃を振り返る。広島大の学生、市役所や近隣の会社に勤める人でにぎわったという。市原さんは20代の時、フランスで修業。74年には房州1階にポワブリエールを開いた。
房州では県内で初めてクレープを提供した。市原さんの菓子やスープも人気を呼び、妻や亡き兄章永さん、両親とともに切り盛りしてきた。休業した時期もあったが、2008年からは、おいが加わることで店の歴史をつないできたという。
学生時代からのファンという広島大名誉教授の原野昇さん(81)=東広島市=は「落ち着いた店内で、本を読んだりデートをしたりした思い出のある貴重な場所。青春の一部がなくなるよう」と寂しがる。近くでスポーツ用品店を営む小野本利明さん(74)も「周辺でも一目置くようなおしゃれな雰囲気で、街の看板的なお店。残念だ」と話す。
閉店を知った古い客からも思い出エピソードや感謝をつづった手紙が届いているという。市原さんは「みなさんに支えられていたんだなあ。ここまで続けてきてよかった」とかみしめる。
「培ってきた歴史と伝統を引き継ぎ、フランス菓子の魅力を伝え続けたい」としてポワブリエールは今後、中区舟入南の本店で営業を続ける。
(2024年6月21日朝刊掲載)
房州は、オーナーの市原董永(まさなが)さん(78)の父、鈴木茂さんと母清子さんがパン店として開店した。原爆投下で爆心地から南約1・3キロの店は焼失したが、翌年には同じ場所で菓子と喫茶の店として営業を再開した。
店舗そばの実家で育った市原さんは「お昼時はサンドイッチやコーヒーを楽しむお客さんで満席だった」と子どもの頃を振り返る。広島大の学生、市役所や近隣の会社に勤める人でにぎわったという。市原さんは20代の時、フランスで修業。74年には房州1階にポワブリエールを開いた。
房州では県内で初めてクレープを提供した。市原さんの菓子やスープも人気を呼び、妻や亡き兄章永さん、両親とともに切り盛りしてきた。休業した時期もあったが、2008年からは、おいが加わることで店の歴史をつないできたという。
学生時代からのファンという広島大名誉教授の原野昇さん(81)=東広島市=は「落ち着いた店内で、本を読んだりデートをしたりした思い出のある貴重な場所。青春の一部がなくなるよう」と寂しがる。近くでスポーツ用品店を営む小野本利明さん(74)も「周辺でも一目置くようなおしゃれな雰囲気で、街の看板的なお店。残念だ」と話す。
閉店を知った古い客からも思い出エピソードや感謝をつづった手紙が届いているという。市原さんは「みなさんに支えられていたんだなあ。ここまで続けてきてよかった」とかみしめる。
「培ってきた歴史と伝統を引き継ぎ、フランス菓子の魅力を伝え続けたい」としてポワブリエールは今後、中区舟入南の本店で営業を続ける。
(2024年6月21日朝刊掲載)