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連載・特集

『生きて』 カメラマン 三浦憲治さん(1949年~) <13> ミウラヒロシマ

広島の街 自分の視点で

  ≪2014年から「ミウラヒロシマ」と題した自身の写真展を東京で開く。ミウラヒロシマは「三浦憲治が撮った広島」の意味。22年には広島でも開催した≫

 カメラマンの先輩、半沢克夫さんに「何か軸になるものをやってみてはどうか」と勧められたのがきっかけ。それまで帰省するたびに広島の街を撮っていたが、発表する機会はなかった。広島を知らない人たちに、その年の「広島」を見てもらいたい。そんな思いで始めた。でも俺の趣味のような写真展にお金を払う人はいないだろうと思い無料にした。まあ、三浦憲治のわがままな写真展だからね。

 ≪展示写真は額に入れず押しピンで留める。撮影日時はあるが、説明はない≫

 しっかり写真を見てほしいから。広島出身ミュージシャンをはじめ、お好み焼きのアップやハトの写真もある。広島で「何が起きるかな」と思いながら撮ってきた写真ばかり。写真の並びを考えるのもこの企画の醍醐味(だいごみ)。見る人がくすっと笑ってくれればいい。

 ≪ミウラヒロシマを応援する一人が俳優吉永小百合さんだ≫

 実は1985年から吉永さんを撮らせてもらっている。ビクターからの依頼で、原爆詩の朗読CDのポートレートも撮影した。その時「僕、広島出身なんですよ」と話した。その後、カレンダーの撮影を頼まれるようになったんだ。

 吉永さんは忙しいのに、毎年ミウラヒロシマを見に来てくれる。展示写真について感想をくれると同時に「これからもずっと続けてくださいね」と言ってくれる。大きな励みだね。吉永さんの原爆詩の朗読とは違うけれど、続けることが大切なんだろうなと思う。

 きっかけをくれた半沢さんも、師匠の長浜治さんも毎回来てくれる。「お前も撮るものをちゃんと見つけたみたいで良かったな」。恩師のその言葉を、俺は直立不動で聞くんです。

(2024年6月26日朝刊掲載)

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