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連載・特集

『生きて』 カメラマン 三浦憲治さん(1949年~) <14> 写真の力 被爆地の思いを今こそ

  ≪自身の視点で広島を切り取る写真展「ミウラヒロシマ」に向け、定期的に広島の街を撮る。被爆地であることを改めて意識するようになったという≫

 ここ10年、「原爆の日」に広島へ帰っている。この3年は早朝から平和記念公園にいる。慰霊碑に手を合わす家族連れや、公園を訪れる人たちを定点観測しながら写真を撮っている。

 俺は被爆2世。幼い頃、8月6日に家族で公園内にある原爆供養塔を訪れた。夏になると、おふくろが言うんだ。原爆で死んだ親族のことを。父方の祖父も、父の姉もあの日の朝、家を出たまま帰ってこない。どこで亡くなったかも分からないままだ。だからなのか、原爆の日に広島で撮影をしていると不思議と落ち着く感覚がある。

 ≪広島の人や広島を訪れた人たちを撮りたい、との思いを強める≫

 米国の有名なファッションカメラマン、リチャード・アベドンの写真集に「IN THE AMERICAN WEST」がある。その中で彼は米中西部の労働者たちを紹介している。白壁を背景に正面を向いたポートレート。これらの写真の力がすごいんだ。

 ポートレートは写真の原点であり、写真一枚の力を感じさせる極限だと思う。このスタイルで、被爆者や2世、3世、広島に何かを学ぼうと思って訪れる外国人を撮れないか。その人たちの思いをポートレートで語らせたい。

 ウクライナにしろガザにしろ、破壊された街がクローズアップされ、人の顔が見えない。世界には原爆が戦争を終わらせたと思っている人がいる。間違えて核のボタンが押されたらとんでもないことになる。だからこそ今、撮らなければ。

 75歳を目前に、写真一枚の強みを改めて感じている。シャッターを押せなくなるその日までカメラを持ち、人を撮り続けたいと思うんです。=おわり (この連載は編集センター・里田明美が担当しました)

(2024年6月27日朝刊掲載)

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