岡田二郎の「春」 府中市上下では初演奏 広島の原爆で亡くなった音楽家
24年6月29日
物悲しい旋律 にじむ郷土愛
哀愁を帯びたメロディーが故郷の人々の心を打った。広島の原爆で亡くなった音楽家、岡田二郎が戦時中に作曲した「春」が、生家のある府中市上下町で初めて演奏された。(西村文)
5月下旬、上下教会であった「平和を願う」コンサート。元広島交響楽団のバイオリン奏者、盛田恵さん(広島市南区)が「アベマリア」などクラシックの名曲を演奏後、アンコールの拍手に応えて静かに弾き始めたのが「春」だった。
軽快でありながら、物悲しさが漂うメロディー。詰めかけた聴衆がじっと聞き入る。「故郷への愛着、愛惜の情が感じられ、胸が詰まった」。岡田の生家を改築した「上下歴史文化資料館」の守本祐子館長は、作者の胸中に思いをはせた。
岡田は1905年、上下町に生まれ、少年時代を過ごした。東京音楽学校(現東京芸術大)で学び、バイオリン奏者として活躍。45年3月に同校助教授を辞し、広島県立第二高等女学校の音楽教師になった。8月6日、爆心地から2・3キロで被爆。25日、妻子にみとられ放射線障害とみられる症状で亡くなった。
「春」は東京音楽学校の教官時代の作で、上田敏の訳詞に曲を付けた唱歌。師範学校や高等女学校で使われた音楽の教科書に掲載され、歌われた。近年、東京芸術大による調査で、岡田の作品に光が当たった。
「春」は東京などで演奏されたことはあったが、故郷では初演。盛田さんは被爆2世として演奏活動に取り組む中で岡田のことを知った。この日は、広島で被爆したロシア人音楽教師の遺品「パルチコフさんのバイオリン」で奏でた。「美しい曲。弾き続け、多くの人に知ってもらいたい」と話す。
(2024年6月29日朝刊掲載)