ヒロシマの空白 中国新聞とプレスコード 第2部 資料から読み解く <2> 「検閲」報道はタブー
24年7月3日
連合国軍総司令部(GHQ)は、占領開始から間もない1945年9月19日に「プレスコード」を発令した。新聞・書籍などの出版物をはじめ、放送、映画、演劇、落語、紙芝居なども検閲する方針を示した。
さらに報道などで検閲自体に触れることを禁じた。検閲は日本の民主化を名目としたが、言論・出版の自由に反する。米国の憲法は検閲を禁じており、後に制定される日本国憲法に違反することにもなるからだ。
しかし、GHQの意向をよそに、検閲について報じた記事が散見される。
上演禁止の記事
中国新聞、夕刊ひろしまの検閲資料は米メリーランド大プランゲ文庫に多数保存されている。検閲に触れて「プレスコード違反」とされた資料で最も古かったのは、夕刊ひろしまに掲載された歌舞伎の上演禁止に関する記事(46年8月21日付)に関するものだった。
広島県の出版物を担当していたGHQの「福岡地区第3検閲局の歩兵大尉ジョージ・ソロブスコイ」名の「出版物についての非公式覚書」(46年9月25日付)。夕刊ひろしまの内田一郎編集局長宛てに送付されていた。
覚書では「検閲の具体的證跡(しょうせき)(痕跡の意味)を現わさぬ様にすることをよく了解しているはずであるにもかかわらず、今なお明確に了解しない向きもある」(原文ママ)と強調。検閲に触れないことはもちろん、墨で印刷面を抹消したり、文章を中途半端に削ったりといった検閲の跡すら見せないよう求めた。
そして「本検閲局の許可を経ずに検閲関係官のことや執務状況に関する記事を公表することを許さぬ」と念を押した。
中国新聞でも、検閲に触れたため「不可」となった記事をいくつも確認できた。
文化欄で「不可」
例えば46年9月8日付2面で、米国の二大労組の一つ、産業別労働会議「CIO」を説明した「略語豆字引」コーナー。よく間違えられる例として挙げた「CIE」(GHQの民間情報局)について「学校教育の問題から日本社会の情報募集、新聞、映画、放送の検閲を行っている」と記した部分がチェックされていた。
46年10月9日付2面の「文化」欄では、レコード各社の新盤発売情報の記事が「不可」に。「浪曲物は時勢のせいかあまり振るわず、レコード会社も検閲の関係で発売を見合わせている」との文に傍線が引かれていた。
「全裸六十五秒間 モデルショウ中止命令」(原文ママ)の見出しで掲載された48年5月28日付記事も「不可」となった。「(ショーの内容は)検閲を受けている」。公然わいせつの疑いで現行犯逮捕された劇場マネジャーの弁明が引っかかっていた。
記事の内容を問わず「検閲」の2文字を消し去ろうとした痕跡は、言論統制の厳しさを物語る。
(2024年7月3日朝刊掲載)
さらに報道などで検閲自体に触れることを禁じた。検閲は日本の民主化を名目としたが、言論・出版の自由に反する。米国の憲法は検閲を禁じており、後に制定される日本国憲法に違反することにもなるからだ。
しかし、GHQの意向をよそに、検閲について報じた記事が散見される。
上演禁止の記事
中国新聞、夕刊ひろしまの検閲資料は米メリーランド大プランゲ文庫に多数保存されている。検閲に触れて「プレスコード違反」とされた資料で最も古かったのは、夕刊ひろしまに掲載された歌舞伎の上演禁止に関する記事(46年8月21日付)に関するものだった。
広島県の出版物を担当していたGHQの「福岡地区第3検閲局の歩兵大尉ジョージ・ソロブスコイ」名の「出版物についての非公式覚書」(46年9月25日付)。夕刊ひろしまの内田一郎編集局長宛てに送付されていた。
覚書では「検閲の具体的證跡(しょうせき)(痕跡の意味)を現わさぬ様にすることをよく了解しているはずであるにもかかわらず、今なお明確に了解しない向きもある」(原文ママ)と強調。検閲に触れないことはもちろん、墨で印刷面を抹消したり、文章を中途半端に削ったりといった検閲の跡すら見せないよう求めた。
そして「本検閲局の許可を経ずに検閲関係官のことや執務状況に関する記事を公表することを許さぬ」と念を押した。
中国新聞でも、検閲に触れたため「不可」となった記事をいくつも確認できた。
文化欄で「不可」
例えば46年9月8日付2面で、米国の二大労組の一つ、産業別労働会議「CIO」を説明した「略語豆字引」コーナー。よく間違えられる例として挙げた「CIE」(GHQの民間情報局)について「学校教育の問題から日本社会の情報募集、新聞、映画、放送の検閲を行っている」と記した部分がチェックされていた。
46年10月9日付2面の「文化」欄では、レコード各社の新盤発売情報の記事が「不可」に。「浪曲物は時勢のせいかあまり振るわず、レコード会社も検閲の関係で発売を見合わせている」との文に傍線が引かれていた。
「全裸六十五秒間 モデルショウ中止命令」(原文ママ)の見出しで掲載された48年5月28日付記事も「不可」となった。「(ショーの内容は)検閲を受けている」。公然わいせつの疑いで現行犯逮捕された劇場マネジャーの弁明が引っかかっていた。
記事の内容を問わず「検閲」の2文字を消し去ろうとした痕跡は、言論統制の厳しさを物語る。
(2024年7月3日朝刊掲載)