『この人』 広島市の平和記念式典で平和の鐘を突く遺族代表 森脇路雄(もりわきみちお)さん
24年7月9日
8月6日に平和記念公園(広島市中区)で営まれる平和記念式典で「平和の鐘」を突く。曽祖父母や祖父たちの被爆から79年たっても世界では戦火がやまない。「今の時代に戦争が続いているというのは信じられない」。平和な日々の尊さを確認し、世界へ響かせる決意だ。
父の英治さん(71)によると、曽祖父の和一さんと曽祖母のイソさんが、自宅があった現在の中区羽衣町付近で被爆。2人を捜すため、祖父の洋三さんも入市被爆したという。
曽祖父母は生まれる前に、祖父は5歳の時に亡くなり、被爆体験を直接聞いた記憶はない。だが、今年5月にマツダスタジアム(南区)で広島東洋カープの試合を観戦中、地域の顔役として平和の鐘を突く遺族代表を探していた英治さんから「やってみたら」と突然、勧められた。ロシアによるウクライナ侵攻が続く現状などを憂う父の姿を知っていただけに、「びっくりしたが、せっかくの機会だと思って」。すんなり受け入れた。
実は、長女(19)が昨年の式典で市民代表として献花した。「テレビで見るだけでなく会場に立つと、改めて戦争や平和について考える経験になった」と振り返る姿が、自身への後押しになっている。
中区で妻(39)と4人の子どもと暮らす。車の販売会社で働き、趣味は家族でのキャンプや友人とのツーリング。巡り来る大役を前に、「当たり前の日常を過ごせることがいかに大切か、考えさせられている」。(下高充生)
(2024年7月9日朝刊掲載)
父の英治さん(71)によると、曽祖父の和一さんと曽祖母のイソさんが、自宅があった現在の中区羽衣町付近で被爆。2人を捜すため、祖父の洋三さんも入市被爆したという。
曽祖父母は生まれる前に、祖父は5歳の時に亡くなり、被爆体験を直接聞いた記憶はない。だが、今年5月にマツダスタジアム(南区)で広島東洋カープの試合を観戦中、地域の顔役として平和の鐘を突く遺族代表を探していた英治さんから「やってみたら」と突然、勧められた。ロシアによるウクライナ侵攻が続く現状などを憂う父の姿を知っていただけに、「びっくりしたが、せっかくの機会だと思って」。すんなり受け入れた。
実は、長女(19)が昨年の式典で市民代表として献花した。「テレビで見るだけでなく会場に立つと、改めて戦争や平和について考える経験になった」と振り返る姿が、自身への後押しになっている。
中区で妻(39)と4人の子どもと暮らす。車の販売会社で働き、趣味は家族でのキャンプや友人とのツーリング。巡り来る大役を前に、「当たり前の日常を過ごせることがいかに大切か、考えさせられている」。(下高充生)
(2024年7月9日朝刊掲載)