ヒロシマの空白 中国新聞とプレスコード 第2部 資料から読み解く <6> 雑誌・書籍チェック 厳格に
24年7月10日
戦後民主主義のうねりの中、新たな雑誌や書籍の出版が相次いだ。治安維持法などによる戦前・戦中の言論統制から解放された影響が大きかった。
その活況は、米メリーランド大プランゲ文庫に多数保存されている検閲資料からうかがえる。例えば広島県内で発行された雑誌。「占領期の出版メディアと検閲(プレスコード) 戦後広島の文芸活動」(広島市文化協会・文芸部会編)によると、同文庫に収められた雑誌は481誌。うち218誌は手作りのガリ刷りだった。
ただし、発行前には連合国軍総司令部(GHQ)による検閲が待っていた。
雑誌、書籍を発行する際は事前検閲が原則。ゲラをGHQに提出し、許可を得なければならなかった。全国紙は同じく事前検閲だったが、中国新聞など多くの地方紙は事後検閲。雑誌などの出版物は、地方紙より厳しく監視されていたのである。
広告は許可の後
さらにGHQは、新聞が出版物の広告を載せる際、許可していないものの掲載を禁じていた。
その事例を示す資料があった。広島県の検閲を担当するGHQの福岡地区第3検閲局が夕刊ひろしまに送った通知だ。
通知は1946年11月13日付。「本の検閲を受ける前に広告を出さないというこの規定は直ちに実施」するよう求め、「本の出版者は検閲済みの許可証を受領するまでは広告を差し控える」よう指示していた。
GHQは、新刊の書籍や雑誌を紹介する新聞の書評欄もくまなくチェックしていたようだ。
書評欄念入りに
中国新聞に、48年に入って設けられた「雑誌評」という小さなコーナーがあった。1年間に掲載された43本の記事全てが検閲対象になっていた。
うち3本について検閲文書が残っていた。取り上げられた雑誌は「イングリッシュ」(8月24日付)「広島青年」(11月4日付)「エスポワール」(11月23日付)。いずれも創刊号を紹介した10行前後の短い記事である。
「イングリッシュ」は広島文理大(現広島大)教授を主幹とし、新制中学以上の生徒らを対象にした英文学と英語学の季刊雑誌。「広島青年」は広島市青年連合会が創刊した。「エスポワール」は広島市の学生、生徒が編集した雑誌である。
3本とも検閲の結果は不明。ただ「広島青年」「エスポワール」の検閲文書は、秘密指定のうちで最も軽い「制限」扱いとされていた。
「広島青年」の検閲文書には「これから出版される」との記述があった。検閲を通過する前に記事が掲載された可能性がある。
検閲制度の建前通りなら、パスしていない出版物は発行されず、新聞に取り上げられることはない。検閲をすり抜ける出版物がないよう、GHQは書評欄も念入りに監視していたのだろう。 =第2部おわり (この連載は客員編集委員・籔井和夫が担当しました)
(2024年7月10日朝刊掲載)
その活況は、米メリーランド大プランゲ文庫に多数保存されている検閲資料からうかがえる。例えば広島県内で発行された雑誌。「占領期の出版メディアと検閲(プレスコード) 戦後広島の文芸活動」(広島市文化協会・文芸部会編)によると、同文庫に収められた雑誌は481誌。うち218誌は手作りのガリ刷りだった。
ただし、発行前には連合国軍総司令部(GHQ)による検閲が待っていた。
雑誌、書籍を発行する際は事前検閲が原則。ゲラをGHQに提出し、許可を得なければならなかった。全国紙は同じく事前検閲だったが、中国新聞など多くの地方紙は事後検閲。雑誌などの出版物は、地方紙より厳しく監視されていたのである。
広告は許可の後
さらにGHQは、新聞が出版物の広告を載せる際、許可していないものの掲載を禁じていた。
その事例を示す資料があった。広島県の検閲を担当するGHQの福岡地区第3検閲局が夕刊ひろしまに送った通知だ。
通知は1946年11月13日付。「本の検閲を受ける前に広告を出さないというこの規定は直ちに実施」するよう求め、「本の出版者は検閲済みの許可証を受領するまでは広告を差し控える」よう指示していた。
GHQは、新刊の書籍や雑誌を紹介する新聞の書評欄もくまなくチェックしていたようだ。
書評欄念入りに
中国新聞に、48年に入って設けられた「雑誌評」という小さなコーナーがあった。1年間に掲載された43本の記事全てが検閲対象になっていた。
うち3本について検閲文書が残っていた。取り上げられた雑誌は「イングリッシュ」(8月24日付)「広島青年」(11月4日付)「エスポワール」(11月23日付)。いずれも創刊号を紹介した10行前後の短い記事である。
「イングリッシュ」は広島文理大(現広島大)教授を主幹とし、新制中学以上の生徒らを対象にした英文学と英語学の季刊雑誌。「広島青年」は広島市青年連合会が創刊した。「エスポワール」は広島市の学生、生徒が編集した雑誌である。
3本とも検閲の結果は不明。ただ「広島青年」「エスポワール」の検閲文書は、秘密指定のうちで最も軽い「制限」扱いとされていた。
「広島青年」の検閲文書には「これから出版される」との記述があった。検閲を通過する前に記事が掲載された可能性がある。
検閲制度の建前通りなら、パスしていない出版物は発行されず、新聞に取り上げられることはない。検閲をすり抜ける出版物がないよう、GHQは書評欄も念入りに監視していたのだろう。 =第2部おわり (この連載は客員編集委員・籔井和夫が担当しました)
(2024年7月10日朝刊掲載)