緑地帯 巣山ひろみ バウムクーヘンと似島⑦
24年7月11日
取材を始めて2年、部屋には紙と資料が山積みになり、雪崩を起こす。いつまでも終わらない調べものに心折れそうになり、もう二度とノンフィクションはやらん!とか考えた。
ともあれ、たくさんの方々のお世話になりながら、2020年6月に、「バウムクーヘンとヒロシマ」は刊行された。
ある日、ひとつの劇団から編集部に、本を原作に使っても良いかと問い合わせがあった。ミュージカルにしたいとのこと。ネットに流れていた本の感想文を読んで、興味を持ってくださったらしい。そのことがとてもありがたく、うれしかった。でも、正直を言って、現実になる可能性は低いだろうと思っていた。時はコロナ禍のただ中。人の集まる舞台やコンサートは次々と中止になっていた。舞台関係者の一人でも感染したなら、上演の計画は泡と消えてしまう。
そんなわたしの思いとは裏腹に、劇団員たちは入れ替わり立ち替わり、東京からやってきて、似島を訪れた。バウムクーヘンを焼き、平和記念公園を歩き、伝えたい思いで胸をいっぱいにして、帰っていった。そして、昨年3月に、本と同名のミュージカルは実現した。わたしは母と東京に向かった。六本木にも桜が満開だった。
編集のTさん、本の装画を描いてくださった銀杏(いちょう)早苗さんと落ち合い、ドキドキしながら劇場のドアをくぐる。どこか懐かしい雰囲気の漂う俳優座劇場の、300の座席は満杯だった。(児童文学作家=広島市)
(2024年7月11日朝刊掲載)
ともあれ、たくさんの方々のお世話になりながら、2020年6月に、「バウムクーヘンとヒロシマ」は刊行された。
ある日、ひとつの劇団から編集部に、本を原作に使っても良いかと問い合わせがあった。ミュージカルにしたいとのこと。ネットに流れていた本の感想文を読んで、興味を持ってくださったらしい。そのことがとてもありがたく、うれしかった。でも、正直を言って、現実になる可能性は低いだろうと思っていた。時はコロナ禍のただ中。人の集まる舞台やコンサートは次々と中止になっていた。舞台関係者の一人でも感染したなら、上演の計画は泡と消えてしまう。
そんなわたしの思いとは裏腹に、劇団員たちは入れ替わり立ち替わり、東京からやってきて、似島を訪れた。バウムクーヘンを焼き、平和記念公園を歩き、伝えたい思いで胸をいっぱいにして、帰っていった。そして、昨年3月に、本と同名のミュージカルは実現した。わたしは母と東京に向かった。六本木にも桜が満開だった。
編集のTさん、本の装画を描いてくださった銀杏(いちょう)早苗さんと落ち合い、ドキドキしながら劇場のドアをくぐる。どこか懐かしい雰囲気の漂う俳優座劇場の、300の座席は満杯だった。(児童文学作家=広島市)
(2024年7月11日朝刊掲載)