寄稿 山梨で「Keith Haring:Into 2025 誰がそれをのぞむのか」展 田中今子
24年7月11日
反戦と反核 ヘリングのまなざし
広島訪問巡る「幻の壁画」 真相に迫る
キース・ヘリング。その名前を知らずとも、インターネットで検索すると、どこか見覚えのある絵が出てくるだろう。没後34年となる現在も、ヘリングの作品はTシャツから交流サイト(SNS)まで、媒体を横断して日常に溶け込んでいる。
世界で唯一のキース・ヘリング専門の美術館である中村キース・ヘリング美術館(山梨県北杜市)では来年5月18日まで「Keith Haring:Into 2025誰がそれをのぞむのか」展を開催している。
1958年に生まれ「スペースエイジ」(米ソの宇宙開発競争が激化する一方、大衆にとっては宇宙への憧れや情報社会への期待が膨らんでいった時代)に幼少期を過ごし、80年代を代表するアーティストとなったヘリング。本展では、世界が史上最も多く核兵器を抱えていた時代にヘリングが参画した反戦・反核運動をたどり、社会を鋭く洞察する彼のまなざしを通して、戦後80年を目前にした現代における「平和」や「自由」の意味について考える。
巨大な骸骨が人々をもてあそぶ様子が描写された本邦初公開の無題のドローイングや、ベルリンの壁に描かれた壁画の記録写真など、100点を超える作品・資料で構成する本展では、ヘリングが社会の動きに関心を寄せるようになった幼少期のエピソードに始まり、世界各地で行った壁画制作や子どものためのプロジェクトを紹介する。
本展ではさらに、ヘリングの広島訪問にも着目した。88年8月5、6日に行われた原爆養護ホーム建設のためのチャリティーコンサート「HIROSHIMA’88」のメインイメージとして、一対のハトを想起させる作品を描いたことを機に広島を訪れた。日記によれば、その目的は壁画を描くことだった。
エイズによる合併症のため31歳の若さでこの世を去るまでの約10年の活動期間に、ヘリングは世界を飛び回り膨大な数の作品を制作した。行く先々には写真家やマネジャーが同行し、活動の様子が記録された。広島訪問は急きょ決定したためかそうした記録がなく、なぜ広島にヘリングの壁画が存在しないのか、真相はやぶの中だった。
そこで、2023年から数回、調査のため広島へ足を運んだ。関係者を訪ね歩いて話を聞き、提供いただいた資料を読み解くことで、ヘリングが広島で何を見て、何を感じ、何を表現しようとしたのかが徐々に明らかになった。本展では、広島滞在時の詳細なスケジュールや壁画制作計画の経緯を時系列で紹介する。
本展の副題「誰がそれをのぞむのか」は、ヘリングが原爆資料館を訪れた7月28日の日記に記した「これが再び起こることを誰が望むだろうか? どこの誰に?」という言葉に着想を得ている。日記は次のように続く。「恐ろしいことは、人々が軍拡競争をおもちゃのように議論し、話し合っているということだ。彼らすべての男性は、安全なヨーロッパの国々の交渉のテーブルではなく、ここに来るべきだ」
本展の来場者ノートやアンケートには「広島のプロジェクトが志半ばで途絶えたことは残念でならない」などといった、感想が寄せられている。
今回の調査で明らかになった事柄は、今月下旬に広島で開催する関連イベント「キース・ヘリングが見た広島」でも紹介する。ぜひ足を運んでいただきたい。(中村キース・ヘリング美術館学芸員)
関連イベント「キース・ヘリングが見た広島」は7月21~25日、広島市中区の被爆建物、旧日本銀行広島支店で開催。ヘリングに関する資料展示のほか、子どもたちのためのワークブック「キース・ヘリングと平和をえがこう」の無料配布(各日先着50部)や、誰でも参加できるワークショップもある。開館は午前10時~午後6時。無料。
(2024年7月11日朝刊掲載)