宇部の空襲写真 実は浜松市街? 経緯は不明 元教員が指摘 小学副読本 使用取りやめ
24年7月12日
戦時中の空襲で焼け野原となった宇部市の市街地として半世紀以上、同市の小学生向け副読本や市史で紹介されてきた写真が、空襲を受けた浜松市街地の写真を修整したものとみられることが分かった。宇部大空襲について調べていた元教員が気付いて宇部市に伝えた。約600キロ離れた浜松市の被災写真を誰が加工し、どんな経緯で掲載されたのかは不明。宇部市は来年度から副読本への使用をやめる。(野崎建一郎)
黒く焼けた樹木や建物の残骸を写した一枚。宇部市教委の小学生向け社会科副読本「わたしたちの宇部」では1968年発行版から2021年発行の現行版まで掲載し、太平洋戦争の際の宇部大空襲により「昭和20年7月2日にやけた町」などと紹介している。93年発行の市史にも空襲の被災写真として載せている。
実際は、空襲を受けた浜松市街地を捉えた写真の可能性が強く、左奥の焼けたデパート跡を消去したとみられる。
宇部市の戦災史を調べている地元の元教員岡本正和さん(71)が今年4月、全国各地の空襲の被災写真が掲載された本を見て、宇部市の写真と浜松市の写真が酷似しているのに気付いた。その後、浜松市立中央図書館を訪れ、保管されていた原本写真を確かめて宇部市に伝えた。宇部市教委は、酷似していることを認めた上で、同じ写真かどうかや、副読本への採用の経緯などを調べている。
岡本さんは「宇部市街地なら工場の煙突などがあるはずなので不自然。市はきちんと対応してほしい」と話す。浜松市の浜松復興記念館の鈴木勉館長(74)は「浜松大空襲の被災の象徴的な写真で、パネル展示もしており驚いている」と受け止めていた。
(2024年7月12日朝刊掲載)
黒く焼けた樹木や建物の残骸を写した一枚。宇部市教委の小学生向け社会科副読本「わたしたちの宇部」では1968年発行版から2021年発行の現行版まで掲載し、太平洋戦争の際の宇部大空襲により「昭和20年7月2日にやけた町」などと紹介している。93年発行の市史にも空襲の被災写真として載せている。
実際は、空襲を受けた浜松市街地を捉えた写真の可能性が強く、左奥の焼けたデパート跡を消去したとみられる。
宇部市の戦災史を調べている地元の元教員岡本正和さん(71)が今年4月、全国各地の空襲の被災写真が掲載された本を見て、宇部市の写真と浜松市の写真が酷似しているのに気付いた。その後、浜松市立中央図書館を訪れ、保管されていた原本写真を確かめて宇部市に伝えた。宇部市教委は、酷似していることを認めた上で、同じ写真かどうかや、副読本への採用の経緯などを調べている。
岡本さんは「宇部市街地なら工場の煙突などがあるはずなので不自然。市はきちんと対応してほしい」と話す。浜松市の浜松復興記念館の鈴木勉館長(74)は「浜松大空襲の被災の象徴的な写真で、パネル展示もしており驚いている」と受け止めていた。
(2024年7月12日朝刊掲載)