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社説・コラム

社説 米サダコ像盗難 反核の願い 踏みにじった

 怒りが募る。米国シアトル市にある平和公園の銅像「サダコと千羽鶴」が足首の上から切り取られ、なくなっているのが見つかった。警察は盗難事件として捜査している。

 広島で被爆し、鶴を折りながら白血病のため12歳で亡くなった佐々木禎子さんがこのサダコ像のモデルである。1990年の建立以来、その前で数々の平和行事が営まれ、折り鶴がささげられてきた。

 原爆犠牲者を悼み、世界平和を祈る場として親しまれていただけに残念極まりない。価格が高騰する銅を狙ったとの見方があるが、どんな理由でも像に込められた思いを踏みにじったのは明らかだ。

 同じ像は2003年にも右腕が切断され、世界10カ国から寄付を集めて翌年に修復された。今回も早速、復元に向けた募金が地元で始まっている。今からでも盗んだ像を返せと、犯人に強く求める。

 同時に、この像の意義を私たちも見つめ直したい。さまざまな点で被爆地と米国をつなぐ象徴と言えるからだ。

 シアトルは西海岸の中枢都市であり、戦前には広島を含む日本からの移民を多く受け入れるなど多文化共生をうたう。ここで暮らしたフロイド・シュモー博士は自国の原爆投下に強く憤り、広島入りして被爆者たちの家を建てて復興に力を尽くした。

 その博士の働きかけで冷戦末期に建設されたのが市管理の平和公園であり、その中心がサダコ像だったのだ。

 米国では広島・長崎への原爆投下を正当化する世論が一貫して強い。ほぼ同じ時期、ニューメキシコ州では広島の「原爆の子の像」の姉妹像を建立する、子どもたちの勇気ある運動が始まった。しかし当初目標とした原爆開発の拠点・ロスアラモスには設置できなかった経緯もある。

 その中でも核戦争の再来を憂う米市民の良心を、シアトルのサダコ像は映していたはずだ。それなのにためらいもなく破壊され、持ち去られたこと自体が空恐ろしい。

 ただ米国でも、核には核という長年の抑止論に疑問を抱く若い世代が少しずつ増えていると聞く。今こそ草の根の反核世論をもう一度、盛り上げられないだろうか。

 「サダコ・ストーリー」の力はやはり大きい。最期まで生きたいと祈り続けた少女の姿が、まさに核兵器の非人道性を浮き彫りにするからだ。オバマ、バイデンの両米大統領が広島訪問に際し、折り鶴を持参したのも禎子さんの悲劇を踏まえたとみていい。

 戦後、禎子さんの物語は海外で幾つも出版されている。とりわけ児童文学作家のエレノア・コア氏が米国で出した「サダコと千羽鶴」(77年)は反核運動の高まりとともに広く読み継がれた。

 そして今に至るまで世界中で平和教育にも生かされる。広島のNPO法人は禎子さんを描く絵本を多言語化して各国の学校や図書館に寄贈を続け、パキスタンにはサダコの名を冠した小学校もある。

 失われた像の行方を案じつつ被爆地から、被爆国日本からサダコの物語をより強く再発信するすべを考えたい。

(2024年7月18日朝刊掲載)

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